行ってきましたー★
昨日、名古屋まで車で旦那ちゃんに連れて行って貰いました~
昨日はこんな感じで一日動きました~
朝7時過ぎに自宅を出て、出発!!
13時頃、愛知の実家へ母さんを迎えに行き、三人でお昼ご飯を食べる。
14時頃、病院へ到着。
★★3時間ほど病院で過ごす★★
17時過ぎに病院を出る。
18時頃、三人で晩ごはんを食べる。
19時頃、本家(父さんの実家)へ伺い、伯父さん&伯母さんに父の様子を報告。
(玄関先で話すだけのつもりが、強引に上がらさせられる)
20時前に、実家へ母さんを送り届ける。
20時過ぎに高速へ乗り、愛知を出発。
途中、旦那ちゃんが睡魔に襲われ、浜名湖で1時間の仮眠を取る。
途中、御殿場辺りでもの凄い霧に襲われ、前が全然見えない状態で走行する
深夜2時、無事自宅到着・・・・・
ハードスケジュールだったぁ・・・・・
アタシは仮眠は取らなかったけど、帰り富士あたりでもの凄い眠くなって
旦那ちゃんの話だと、20分くらいコックリコックリしていたらしい・・・
そりゃ眠くもなるよね~
だって、アタシ
前日の金曜日はバイトだったでしょ。
仕事から帰って犬の散歩して、
晩ごはんの支度して、
食後洗い物して、
母さんと約束した手作りパンを作って、
その後、
深夜1時に帰宅した旦那ちゃんに晩ごはんを食べさせて、
焼き上がったパンを持って行ける様に準備して、
長旅に備えて、犬の物やら、着ていく服などの準備をして、
結局寝たのは深夜2時30分頃
ベッドに入ったものの・・・・こういう日に限って、
耳元で聞える、旦那ちゃんの『スーーーーハーーーー』という寝息が耳について眠れなくなる
それでも何とか無心を心がけ、
なんとか深夜3時過頃眠りにつく・・・
そして・・・・・・
朝5時に起床。
2時間だけの睡眠・・・・・
(ちなみに旦那ちゃんの睡眠時間は4時間ちょっと程)
仕事があった日に睡眠2時間で長旅って・・・・・
そりゃ眠くもなるよね(笑)
お陰で、今日は寝不足&疲労からか・・・・
もの凄い頭痛と、
以前もあったけど、視界がチカチカして周りが見えにくいとか、ちょっとふらついたり・・・
鎮痛剤を飲んで、午後からずっと寝ていました。
旦那ちゃんは今日もお仕事だから大変だろうな・・・・・・
昨日はずっと運転しっぱなしだったからね。
本当に感謝です
旦那ちゃんが頑張って連れて行ってくれたお陰で、父さんもとっても喜んでくれました
父さんの状態ですが、
肺炎はほぼ治ってきてるけど、
夜になると38度くらいの熱が出て、昼間でも37度くらい熱があるらしく・・・
昨日も、病室へ行くと看護婦さんがすぐに来てくれて、
『今日も37度くらい熱がありますので、本人もちょっとしんどいみたいです』
と教えに来てくれました。
意識はあるけど、
普通に・・・・・っていう程の会話という会話は出来る状態ではなく、
短い言葉のやり取り的な、ちょっとした受け答え程度の会話が出来るだけの状態でした。
手術から2週間、ずっと寝た状態。
本当なら、2週間で退院だったはずなのだ。
現に、
父さんと数日違いで手術した同室の患者さんは、もう週明けに退院するそうだ。
2週間で退院できると思っていた父さんは、
現実では2週間たってもこういう状態なので、かなり参っているようで、
『もうダメなんだろうか』
『意欲が出んでいかんわ・・・』
『なんで俺だけこういう状態なんだろうか』
『なんでこうも熱が上がったり下がったりするんだろうか・・・』
『体を起こすとフラついて座っておれんで、もう立つことも出来んわ・・・』
という言葉を口に出し、かなり弱気になっているようだった。
大好きなアイスクリームがどうしても食べたいようだけど、
まだ飲み込みの練習が出来ておらず、上手にゴックンできないので、まだお水もアイスクリームも禁止なんだとか・・・
ぼぉぉぉーーーーっと天井を眺めて、
『体がだりぃ・・・・・(だるい)』
『胸がいてぇ・・・・・(痛い)』
と口癖のように言っていた。
3時間居た間に、何度『アイスクリーム買ってきてくれ』と言ったことだろうか。
見ていて可哀想だった。
腕には点滴をして、
酸素のチューブを鼻に入れて、
栄養(流動食)のチューブも鼻に入れて、
胸には心拍を計ったりするものなのか、何色かの線が取り付けられていた。
行ってすぐ、父さんが旦那ちゃんに
『遠いところ、悪かったなぁ・・・・・・』
『心配かけてすまんかったなぁ・・・・』
といって、涙を流した。
丁度そこに看護婦さんが点滴を交換しに来て、
『○○さん良かったね~^^
今朝も、娘が来るんだわ~って言ってたんだよね~』
と声をかけてくれた。
父さん、看護婦さんに話すくらい楽しみにしてくれていたんだね。
看護婦さんが、
『神奈川からだと遠いから大変ですよね~
○○さん、遠くなのにこうして来てくれるから嬉しいですよね~』
と言った。
母さんが、『どうして神奈川って知ってるの?』的なことを聞くと、
『手術の翌日に声かけてもらった時、神奈川って聞いたんですよね~』
とニコッとしてきた。
そうだった。
手術の翌日の夜
病院を後にする時、ナースステーションに居た看護婦さんに、
『昨日手術して今ICUに入っている○○の娘です。
数日後、ICUから出てこちらの病室でお世話になると思うので、また宜しくお願いします。
私は神奈川から来てるので、なかなか来る事が出来ないので、主に母が通うと思いますが、母も来れない日があって、完全にお任せする日もあると思いますので・・・どうぞ父の事、宜しくお願いします。』
と頭を下げてから帰ってきたのだった。
その時に声をかけた看護婦さんの中の一人で、アタシの事を覚えていてくれていたのだとか。
それにしても、まさかこんなに長く入院するとは思ってもみなかったね。
多分、この状態だとまだまだ入院していると思う。
退院は・・・・・いつになる事やら・・・・・
とにかく、熱が下がることが一番だね。
そして、自分の口で物が食べれるようになれば、気力も出ることでしょう。
あとは、座ることが出来るようにリハビリをして、車椅子に乗れるようになる事かな・・・
車椅子に座っていられるようになれば、病室から出て休憩室にも行けるようになるし・・・・
出来る事が出てくれば、父さんも元気になるだろうに。
母さんと旦那ちゃんが席を外した時、父さんが
『陽子・・・・心配かけてすまんかったなぁ・・・・』
と言って、顔をクシャッとさせて泣いた。
アタシは、
『そんな事はいいの。
まだまだ長生きしてもらいたいで、
そんなに弱気にならず、前向きに頑張るんだよ!!
手術は成功したんだから、感謝してやる気出さないとね!!』
と言うと、
『そうか・・・成功だったか・・・・』
と言うので、
『成功だよ。
成功してなかったら、今頃こうして目開けて話なんてしとれんかったよ。』
と言ってやった。
父さんは、
『そうか・・・・』
と言って天井をじーっと見た。
そうなんだよね。
手術が成功してなかったら、こうして目を開けて話ししてないもんね。
違う病室のおじさんは、手術中に瘤が破裂してしまったそうなのだ・・・・
おばさん(奥さん)は、
『お宅はちゃんと意識もあって喋れるんでしょ?それは成功だわ!!
うちのお父さんは手術の途中で破裂しちゃったから、もうどれだけか経つけど、
いまだに意識が無い状態なんだよ。』
と、母さんに話したのだとか。
そのおじさん、
破裂した上に、脳へ行く血管に血栓も入ってしまったので、脳もダメになってしまったのだとか・・・・
こうしてみると、
助かった父さんは、本当に運が良かったんだろうな・・・って思う。
折角助かったんだから、頑張って元気になって欲しい