東日本大震災から8年が経ちました。

 

 

 

被災したわけではないのですが、あの日のことは今でもよく覚えています。

 

 

 

当時名古屋に住んでいて、当時も勤務先は病院で病院

 

 

 

名古屋は震度4でしたが、病院でも揺れが分かるし長いしで…

みんなで外に出ました。

 

 

 

そして院内に戻って待合室のテレビで地震のことが流れていて…

震源地は東北の太平洋側。

 

 

 

その時ゾッとしました。

 

 

 

24歳の誕生日の前日にmixiで知り合った大切なマイミクさんが岩手県に住んでいました。

 

 

 

その子とは好みが似ていたり性格も似ていたりと、本当にとても気が合ったので、マイミクになってから数か月後にメアド交換して、お互いの地元の名物を贈りあったり、お互いの誕生日にプレゼントを贈りあっていたんですプレゼント

 

 

 

そんな感じなので私にとってその子はマイミクさんを越えて友達だと思っていました。

 

 

 

で、住所は知っていても友達が住んでいる場所が岩手県のどこに位置するのか分からない丸

 

 

 

とりあえず少しだけ仕事を抜け即メールを送り、再び仕事に戻りました。←今思えば当時はLINEがなくて連絡のやりとりはメールでしたねグラサン

 

 

 

そして仕事中に思い出したことがあり丸

 

 

 

その子との会話の中で、『岩手県の太平洋側に住んでいるから、雪はそこまで降らないんだよね~雪だるま』なんて話していたことを思い出しました。

 

 

 

無事でいてほしい…そればかりを祈っていたな。

 

 

 

 

 

地震から3時間後に仕事が終わり、携帯を見たけど返信はきていなく、不安になりながら家に帰りました。

 

 

 

そしてテレビのニュースで流れてくる大津波が押し寄せてくる瞬間とか、津波の被害に遭った町とか…

想像を絶するものでした。

 

 

 

友達が住んでいる宮古市もしょっ中テレビに出てきて、大津波の痕跡とか見るのが辛かったです。

 

 

 

その時できることはただ無事を祈ることだけでした。

 

 

 

ライフラインも繋がっていないので、きっと返信ができないだけだと…

そう信じて日々過ごしていました。

 

 

 

メールよりもしかしたらmixiのメッセージのが届きやすかったりするかな??と思いそっちからも連絡して丸

 

 

 

 

 

そして私にはもう1人、仙台に住むマイミクさんがいました。

 

 

 

メアドを知らなかったので震災のあった日、仕事からの帰り道にmixiのメッセージから連絡してラブレター

 

 

 

その子からは割とすぐに返事がきて、無事を伝えられた時はとても安心しましたニコニコ

 

 

 

同じ宮城県内に住む家族も無事とのことでした。

 

 

 

仙台もその子の実家がある場所ら辺も津波の被害でよくニュースに出てきていたところだったので、本当に良かったです汗

 

 

 

その子は幼稚園教諭の仕事をしていて、地震のあった時は送迎バスの中だったそうです。

 

 

 

夜までバスの中で過ごし、その後は秋田県に移動したとか。

 

 

 

同僚さんの実家が秋田県で、そこはライフラインが繋がっているとのことで再び安心できましたね。

 

 

 

 

 

岩手県の子とは本当に連絡がつかなくて。

 

 

 

地震から数日後にネットで市内の被害情報を検索しました。

 

 

 

どうやらその子の住む町内は津波で家が流されたとか、そういう被害はなさそうとのことで一旦は安心したんですが、その時家にいるか分からないよな…

って思ってやっぱり不安は消えませんでした。

 

 

 

 

 

そして地震からちょうど1週間後、仕事が終わって携帯を見たらその子からメールがきていて、無事を教えてくれました。

 

 

 

家も無事だったので、避難所にも行かずに家で生活していたそうです。

 

 

 

ただ同じ市内にあるその子の実家は大津波で流されてしまい…。

 

 

 

家族全員仕事で家にいなかったので、みんな無事だったと聞き安心はしましたが…

でも家がなくなるって考えると辛い。

 

 

 

 

 

その子との友達関係は現在も続いていて、連絡もとるし家は遠いですが2回会いましたおねがい

 

 

 

ディズニーも一緒に行ったな~ぱぁ

 

 

 

ですが震災のことは、今でもこっちから話を触ることはできません。

 

 

 

地震から2週間か3週間後に津波に流された実家があった場所に行ったそうで、その連絡をもらった時に吹っ切れた…

と言ってはいましたが。

 

 

 

完全にそう思える日なんてこないと思うんですよね。

 

 

 

震災で友達と親戚3人亡くしているそうで。

 

 

 

悲しみは一生消えることはないと思う。

 

 

 

家族は無事でも、友達と親戚を失い…

なんて声をかけてあげるべきなのか…

当時すごく悩みましたね。

 

 

 

 

 

ちなみにもう1人の仙台に住んでいる子も、その震災後にメアドの交換をして今でも友達関係が続いていますスマイル

 

 

 

そう思うとmixiでの出会いって私にとってとても重要なものだったんだよな…

って改めて思いますスマイル

 

 

 

その子は震災の翌月から東京に転職することが決まっていて。

 

 

 

でも仙台で住んでいた自分の家の中はとても短期間で片付けられるレベルのものではなく、震災から2週間後にキャリーケース1つで東京へ向かったそうですカバン

 

 

 

で、仕事が休みの日に仙台に戻って片付けていたとか。

 

 

 

同じような経験をした人、他にもたくさんいるんだろうな。

 

 

 

 

 

話があちこち変わってしまいすみません汗

 

 

 

また岩手県の友達に話を戻しますが丸

 

 

 

震災から1週間後にきたメール、実は2通きていたんですラブレター

 

 

 

1通は無事を知らせるメールで、本人が送っていると記載もありました。

 

 

 

心配して連絡してくれた方に一斉送信してる感じかな?

 

 

 

そしてもう1通は私個人に送っているメール。

 

 

 

地震があった時のことも話してくれて、地震があった日はとてもいいお天気で、地震があった時は家で私に手紙を書いてくれていたそうです。

 

 

 

地震がきて、当時臨月だったその子は、母子手帳だけ持って外に出たとか。

 

 

 

今日とかテレビでよく震災を体験した方が色々と語ってくれて、話すの辛いだろうに…

とか思うと胸がしめつけられるんですが、自分の友達から聞くリアルな震災当時のことは、また違った思いがあります。

 

 

 

上手く言葉に表すことができないんですが汗

 

 

 

これは絶対に風化させてはいけないことですし、忘れたいけど…

忘れてはいけないことなんですよね。

 

 

 

長文失礼いたしました。

 

 

 

実は震災から約2年後、岩手の友達に会いに現地に行っています。

 

 

 

次回はそのことについて書きたいと思います。