吉原の歴史 | 真奈のスイカ大好き食いしん坊日記

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皆さん、こんばんは[みんな:04]

今週3回目の歴史のブログです[みんな:05]

今回は、吉原の歴史です[みんな:06]
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吉原と言えば、江戸時代に創設されて、昭和まで続いた、公許の遊女屋が集まる遊廓です。
徳川家康が江戸に移って、急ピッチで江戸の都市開発が進みました。それに伴い、武士や町人が次々と移転し、江戸市中の男女比は男2対女1という状態になったそうです。

人口が増えると、やはり男の方は、どうしても”遊びたく”なるらしいです。
で、江戸の初期はあっちこちに、そういうお店ができるわけですが、都市開発の進行に伴い、何度となく移転させられていたのが、庄司甚右衛門という方が幕府に嘆願し、一大遊郭ができたというのがホントのところと言われています。

その際

1 客の連泊はさせない

2 騙されて売られた娘は、親元に帰す

3 犯罪者がいたら届け出る

という3つの条件がつけられ、幕府公認の遊郭となったわけです。
明暦2年(1656)に浅草寺浦の日本堤に移転し、研究者の間では、これを新吉原と呼んでいます。

そして、姿やシステムを変えつつ、昭和32年の売春禁止法が施行されるまで、続きました。
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それでは、意外と知られていない吉原の歴史を書いていきます。


☆お客さんも大変な吉原☆

初めに吉原で遊ぶ時の金額をお伝えします。

太夫(上級以上の遊女)の場合、1両1分(約10万円)[みんな:16]

中級程度の遊女は、3分(約6万円)[みんな:17]

その下の遊女は2分(約4万円) です[みんな:18]

吉原の街の両端にある「河岸」の時間売りの「切り見世」の遊女では、100文(2000円程度)でした。
「切り見世」の遊女は酒を勧めたり、と何とか延長をさせて結局は8000円程度をお客に支払わせたそうです。

さすがですw

ちなみに吉原以外で夜鷹などの流しの遊女になると24文(500円程度)でした。

安い…[みんな:11]

中級以上の遊女と遊ぶには、「馴染み金」が約2両2分(20万円程度)かかります。
その6割が遊女へ、4割が見世の懐に入りました。

その他酒や食事などの料金を含めると「馴染み」になるまでに総額40万円~50万円かかります[みんな:08]
やはり庶民には憧れの遊びでした[みんな:07]

すごい差ですね…[みんな:09]


そして、吉原で遊ぶには幾つかの段取りが必要です。
中級以上の遊女はいきなり見世に行ってもすぐに相手はしてもらえません。

①初会
まずは五十間道にある茶屋で見世の情報を仕入れたり、「細見」と言うガイドブックを読んでお気に入りの遊女を選びます。
引付茶屋と言う見世とお客の間を取り持つ店で待っていると遊女が来ます。
遊女が上座、お客が下座に座り宴会が始まります。
しかし、遊女はお客のお酒も断り、会話もしません。

初会はまさに「顔合わせ」です。

②裏
2回目に同じ遊女に会いに行くことを「裏を返す」と言います。
これは、見世には遊女の名前を書いた札があって、「裏」の時には「仕事中」であることが分かります。

基本的には一度選んだ遊女を取り替えることは出来ません。
また同じ宴会でも今度は遊女はお客のお酒も飲み、会話もします。
しかし、枕を共にすることはなく、お客も「客人」と呼ばれ、まだまだ馴染みにはなれません。

③馴染み
ここでようやく引手茶屋から遊女の部屋に通されます。
ようやくお客も名前で呼ばれ、お客用の箸を用意してもらいます。
これが「馴染み」の証しです。
但し「馴染み」となりますから、お客お店や遊女にご祝儀を渡したす必要があり、これを「馴染みをつける」と言います。


当時の独特の風習ですが、遊女のトップである花魁ともなれば、客を選べるのです。

つまり、意中の花魁と遊ぶためには、お客も、花魁に気に入られないとなりません。
お金払えばいいってもんじゃないんです。

お客さんも、すごく大変なんだなぁと初めて知りました[みんな:15]

ちなみに、この茶屋は、それだけの目的で使われるわけではありません。
時には、付き添いで来た人間が部屋を一つ借りて酒を飲んでたり、複数人で来た場合、遊び終わった後の集合場所となってたり、ただ単に食事をしたりと、多機能に使われてもいたようです。

なお、花魁道中というのは、お呼びがかかった、花魁が、お客さんの待つ”茶屋”に移動する際のものなんです。


☆一夜妻と言えども妻☆

最初に話したとおり、吉原では、どんなにお金を積んでも、連泊は許されません。
朝になれば、風呂に入り、朝粥など食べて帰らなければなりません。

で、そこから”一夜妻”という言葉が生まれました。

文字とおり、一夜限りの妻という意味ですが、一夜妻でも妻は妻なのです。吉原のしきたりでは。

ですが…

浮気厳禁[みんな:12]


いったん、吉原で、ある遊女と関係を結んだら、もうそれ以外の人のお客になってはいけないのです。

もし浮気したら、、、

それは、、、、、、、

もう、おそろしいことになります[みんな:13]

つかまって、髷を落とされたりとか、あったんだそうです。

江戸時代ではありませんが、映画『吉原炎上』で、お客をとられた遊女同士が、激しく喧嘩するシーンがあります。
あぁいうのを避けるための自然にできたルールだったのかもしれません。

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☆吉原を題材にしたちょっといい話☆

吉原遊郭は、時として、落語や浄瑠璃の舞台となっていました。

そんな中から、私がちょっぴり感動したお話を最後に書きます[みんな:14]


ある青年が、一人の花魁に一目ぼれした。

青年は、一度でいいから、彼女と過ごしたいと思って、それから必死に働いた。食べるものも食べず、金をためた。

それから数年の時がたち、ようやく一晩過ごせるぐらいの金がたまった。

青年は、新しい着物を買い、その金を持って、吉原へと行く。

茶屋に入り、そのときがきた。

しかし、青年は、緊張していた。

酒も喉を通らず、目の前のご馳走にも手が出ない。

もちろん、会話も、まともにかわせない。

そして、、、

青年は、いきなり座布団から降り、彼女に向かって土下座した。

“申し訳ありません。私は、ホントは、こんなところに座っていられる身分の男じゃないんです。”

“数年前に、あなたに一目ぼれし、一生懸命金をためて、きたんです”

畳に額をこすりつけて、そう告白した青年に、花魁は、

“そこまで想ってくれて嬉しいです。もうすぐ私の年季があけます。そしたら吉原から出られるから、そしたら私をもらってください”

と答えた。

~終わり~


私は、このお話を読んで、この青年のひたむきさと、真っ直ぐさと、一生懸命さに、感動しました[みんな:02]

吉原の恋…
素敵ですね[みんな:10]

いつの時代も純粋な恋っていいなぁと思いました[みんな:02]


以上、吉原の歴史でした[みんな:03]



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