今、私たちは、幸せの本体「幸せの海」の中でただひたすら生きているだけです。
海の中に棲む魚は、海の本体がどんなものかわからない。
神さまというのは限りない優しさをもっていますから、魚の望みを叶えるために海を見せてあげようとします。
つまり、人間に釣り上げられるのです。
「海を見たい」という望みは叶いましたが、海から出ているので呼吸ができなくて苦しい。
結局、釣り上げられている状態というのは、海は見えるけれども、同時に苦しい、つらい目にあっていることになります。これを言い換えると災難といいます。
魚が(私)で、釣り上げた人を「神」あるいは「仏」と置き換えます。
海は「幸せ」そのものです。
人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときに初めて、自分の「海=幸せ」が見えるのです・・
すべてを味方すべてが味方
小林正観
三笠書房
毎日届くメルマガ(上記)。
以前の私は幸せがどういうものか分からず、幸せに『なりたい』と、もがいていました。
それで神様は私を釣り上げ(リウマチにして)、私に幸せを見せてくれました。
幸せは探すと見つからないと聞きますが、ホントにそうだなぁと思います。
ふと「私ってホントはずーっと幸せだったのでは?」と気付いた時から、流れが変わったかのように幸せを『感じる』ようになりました
海の中に棲む魚は、海の本体がどんなものかわからない。
神さまというのは限りない優しさをもっていますから、魚の望みを叶えるために海を見せてあげようとします。
つまり、人間に釣り上げられるのです。
「海を見たい」という望みは叶いましたが、海から出ているので呼吸ができなくて苦しい。
結局、釣り上げられている状態というのは、海は見えるけれども、同時に苦しい、つらい目にあっていることになります。これを言い換えると災難といいます。
魚が(私)で、釣り上げた人を「神」あるいは「仏」と置き換えます。
海は「幸せ」そのものです。
人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときに初めて、自分の「海=幸せ」が見えるのです・・
すべてを味方すべてが味方
小林正観
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以前の私は幸せがどういうものか分からず、幸せに『なりたい』と、もがいていました。
それで神様は私を釣り上げ(リウマチにして)、私に幸せを見せてくれました。
幸せは探すと見つからないと聞きますが、ホントにそうだなぁと思います。
ふと「私ってホントはずーっと幸せだったのでは?」と気付いた時から、流れが変わったかのように幸せを『感じる』ようになりました