前の記事(→こちら )で、はづき虹映さんからのメッセージについて書きましたが、今日続きのメッセージが来ていました。
以下、そのまま載せますね。
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『裁き』
何がそんなに許せないのですか?
他人を傷付けてまで、自分の正しさを証明しようとするなんて、よほど癒されたいのですね?
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本当に自由な人は、相手を裁いたりしません。
自分に厳しい人ほど、他人にも厳しくなり、
自分の価値感で相手を裁いてしまいます。
実は自分のその価値感から、一番開放されたいのは、
他ならぬ自分自身なのです。
裁いている本人が、一番苦しく、癒しを求めているのです。
もしあなたが、他の誰かから「裁き」を受けたと感じても、
あなたが「被害者」になる必要はありません。
本当の「被害者」は、「裁き」を加えている、
その本人なのですから…。
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あなたが誰かに「裁き」を加えてしまったら、
相手の中にある、何が許せないのか、静かに考えてみましょう。
本当は自分もそうしてみたいのではないか…と考えてみるのです。
そこまで頑なに否定するのは、何故でしょう?
その否定していたものこそ、
実はあなたが一番、求めていたものかもしれません。
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そうなんです。
以前、私は自分にめちゃめちゃ厳しかった・・・
100点満点で120点を取らないと気が済まないくらいに
そして、「自由になりたい」といつも思っていたけれど、何をしても自由なのに自由になれなかったのは、自分自身でつくった檻の中から、出られなかったのです。
その檻を自分でつくっていることは分かっていたけれど、何かがわかりませんでした。
そうか・・・
私は、私ができないことをしている人がうらやましかったのかもしれません。
欲しいものを我慢していくうちに、「手に入らなそうなもの=嫌い」となっている。
先日カラーセラピーの練習会でも、「もっと開放感を味わいたい」(記事は→こちら
)という気持ちに気付いたけれど、ここにもつながっているんですね。
「裁き」とは、「本当は自分はどうしたいのか?」という、潜在意識レベルのメッセージですね
何かすごいヒントをいただいた気分です
ありがとうございます