1月15日。
いつものように息子と2人ならんで夜ごはんを食べていたら、
なぜか突然涙があふれ出てきた。
拭っても拭っても溢れ出てきてしまって、
息子に気付かれないように必死だった。
わざわざLINEすることでもないのに
母や叔母、主人にそのことを伝えて…
デザートにりんごを剥いて食べていた時にスマホが鳴った。
「今、病院から連絡があってママ(祖母)の呼吸が止まったって!」
母からの電話だった。
今思えば、この一連の流れはママによる呼びかけだったような気がする。
主人に電話するも、仕事中で出ない。
息子をおいて病院へは行かれない。
申し訳ないと思いながらも鳴き声を抑えながら近くに住む義妹に電話で状況を伝え終わると同時に
「すぐおいで!」と。
泣きながら息子の準備をしていたら、玄関のチャイムが鳴り有難いことに義妹が迎えに来てくれた。一瞬の出来事だった。
息子をお願いしてわたしはタクシーに乗り込み、急いで病院へ!
緩和病棟の病室に着くと家族みんなすでに到着していてベッドを囲んでいる。
寝ているようにしか見えない祖母がベッドに横たわっていた。
手を握ると温かいけれど、指先は冷たかった。
信じられなくて何度も何度も「ママー!ママー!」と呼びかけたけど、反応はなかった。
時間が経つにつれ、手や唇が白くなってきた。
その様子を見て実感が湧いてきた。
午後21:14。
医師のゆっくりとした死亡確認が行われ、死亡宣告が述べられた。
一般的ではないかも知れないけれど、
家族みんなから「ママ」と呼ばれていた祖母。
息子が生まれてからは「ひいばあ」、「せっちゃん」と呼ぶこともあったけれどもちろんわたしも小さい頃からずっと、「ママ」と呼んでいた。
高校1年生まで同居していたし、
引っ越した後も徒歩10分程の場所に住んでいたのでよく遊びに行っていた。
結婚してからもケーキとスタバのドリンクを手土産に訪れていた。
共働きの両親だったので
小学校時代、毎日代替給食を届けてくれていたり、
放課後の習い事送迎や、
習い事や学校の宿泊行事にも同行し料理も作ってくれていた。
ブログはアメブロを始める前のライブドアブログ時代から、
そしてInstagramでの情報発信がメインとなった今でも投稿をチェックしてくれていて、
誤字脱字があればすぐにLINEで連絡をくれていたし、
洋服や髪型を褒めてくれたり、
仕事もとても応援してくれていた。
ママは常に1番のわたしの味方で、
唯一のわたしの心の拠り所だった。
これからはどうしたらいいの?
お空の上でも微笑みかけながら今も見守ってくれているの?
それとも天国でやっと伸び伸び自由に暮らしているの?
38年間。
わたしに寄り添ってくれたその時間は "祖母と孫の関係" ではなく、
"母と子の関係" に近かったと思う。
わたしにとっては母のような存在の「ママ」。
乗り越えられない壁はないと思ってはいるけれど、
ママが与えてくれた愛情の分、心臓にぽっかり穴が開いてしまっているよ。
今回ばかりは乗り越えるのに少し時間がかかりそう。