父が天国に旅立ちました。

 

今年始めから一気に疲れやすくなったとのこと。7月に精密検査を受けた結果、アミロイドーシスという、心臓や内臓に変性たんぱく質が絡み付くという難病で入院しておりました。そのことを聞いて覚悟はしていましたが、思ったよりも早い他界でした。

 

 

もう先が短いと感じたため、9月1週目にも、十和田に来ていたのですが、このご時世、面会は叶わず残念でした。せめても近くに来れたことで自分を納得させた感じです。

 

今回の葬儀も、もかしたら参加できないかもと思いながら、せめて近くで見届けられればと帰省しましたが、結果、葬儀会社の計らいや他の参列者の皆様の気遣いのおかげで、納棺~火葬~お骨拾い~お通夜~お葬式、全てに同席することができました。おかげ様で自分の中で気持ちの区切りをつけることができました。

 

 

父は高校卒業後、蒲田のナショナル(現パナソニック)関連の専門学校に通い、卒業後三沢市の古田電器に勤め、昭和58年にそこを退職、サカモト電器を開業、入院する直前まで電器屋一筋で生きてきた人生でした。その背中を見ていたことが、私も自分で起業するということに繋がったと感じています。そういう意味では起業の大先輩です。

 

 

私が実家を出てから数十年、父から直接電話がかかって来ることはほとんどなかったのですが、今年7月に直接電話がかかってました。その時は既に父の病状を母から聞いていたので、直接話せる最後のチャンスかもしれないとの予感はありました。その時の父の言葉は「お姉ちゃん、良く頑張ったな、頑張ったな。」と。

 

今までの父は、そのようなこと(私を褒める)をしないような人だったので、その言葉を聞いた時、「遺言かな」と直感し、涙が溢れました。

父は娘の私から見てもイケメンで(本人にそんな言葉言ったことがないけど、この文章は読んでることを願う)、遺体もそのままの顔立ちでした。自慢の父です。

 

亡くなったのは深夜2時頃でした。その前から数日母が泊まり込みで付き添っていたそうです。最後は、苦しまず安らかに眠るようだったと聞いて、少しだけほっとしました。遺体の顔もとても優しい顔つきで、苦しまずにその時を迎えたのかなと感じられました。

 

私は魂の存在を信じていて、魂は肉体よりも自由で、時間や空間に制約されない世界に生きていると思っているので、父はこれからは大好きな人のそばを行ったり来たり、楽しく過ごすのだと思っています。そしてその中に私も含まれているはず。直接話すことはできないけど、見守ってくれているのかなと思っています。

 

 

●〇●〇●〇●〇

 

以下、9/22追記。

 

先日の父の訃報に際し、沢山のお悔やみの言葉をいただき、ありがとうございました。更には、直接お焼香に訪れてくださった方、お品を送ってくださった方もおり、皆様も大変な状況でお心遣いくださったこと、心より御礼申し上げます。

 

母もコメントには目を通しており、とても励みになっていると申しておりました。父も天国から見ていることと思います。

昨今、オンラインが急激に発達した中で、オンライン葬儀ができる仕組みができておりました。今回も遠方にお住まいで来られない方のために、オンライン葬儀の場を作っております。

 

オンライン葬儀では以下の内容がご覧いただけます。

・お焼香(簡易的なもの)

・ご記帳受付(故人・遺族へのメッセージ)

・葬儀の写真

・父の生前の写真

・喪主挨拶

公開は11月19日13時まで

 

ご希望の方は、メッセージにてお知らせいただけましたらURLをお知らせいたします。

 

ご覧いただける写真には、プライベートな内容が含まれておりますので、直接の知り合いのみとさせていただきたいと思います。ご了承くださいませ。

 

 

※帰りの新幹線から見えた月。とても綺麗でした。