3.11 | ちむプラスα

ちむプラスα

日常を書いてます!

3年もたったんですね。
東北地方太平洋沖地震から。

この日のことは覚えています。
高校を卒業していたので
おかあさんと家のこたつでTVをみていて、
知らぬ間に二人共昼寝していました。


そして、地震。

私たちは、おたがい
「めまいがする感覚」で起きました。

揺れ方が、いままでの地震とはまったくちがって、
船に乗っているようなおおきくゆっくり揺れていたことから
自身の目眩と勘違いしたんだと思います。

途中で気づいてテレビをみると、
東京都のビルなどの爆発の映像
そして数分後には津波の映像。。。。

テレビからはなれることができなかったと同時に
仙台に住んでいる友達の安否が
ほんとに心配で、めちゃくちゃ電話したのを覚えています。

フォロワーさんの安否もきになりました。
いつもコメントしてくれたり
リプライくれる人たちがどこに住んでいるのかもわかりません。
当時のわたしは、
落ち着いたらで大丈夫なので連絡をください

コミュの掲示板にかいたり、自分で
いままで連絡してくれたり、企画で住所がわかっている人に
安否の連絡をとったりしました。

いま考えればあとのがよかったのかもしれません。
回線混み合わせてしまったわけですから。

でも、そのくらい心配でした。

名古屋は震度4でした。
これでも比較的おおきい地震かと思いますが、
先ほどかいたように、よこにおおきくゆっくりな揺れだったので
震度4だったとはおもいませんでした。

お母さんと2人でずっとNHKをみてました。
日本、どうなっちゃうんだろうね
ってほんとに恐怖で、でもことがおおきすぎて、現実の出来事とは思えず
ずっとフワフワした気分になっていました。

そして原発。
表現が幼稚かもしれませんが
わたしは、血や、血が出てなくても
痛そうな写真、動画が苦手で
チェルノブイリの授業などでみたあの悲惨さを
逆に鮮明に覚えていました。

日本もそうなるのではないか、
あんなに苦しむ人がたくさんでるのではないか

ほんとにこわくなりました。



友達は無事に連絡とれました。
食器がわれた破片でちょっと腕を怪我した、といっていましたが。

フォロワーさんも連絡を続々おくってくれました。
こんな状況なのに
「家の中はぐちゃぐちゃだけど、まなちゃんの写真は無事だったよ」
とか伝えてくれる優しさをもった素敵なフォロワーさんたちです。

ただ、あの日を境に姿を出さなくなった人ってやっぱりいるんです。
きっとネットをやる時間がないほど
大変なんだろうなっておもってます

仕事柄全国の人と連絡を取り合ったり、郵便物おくったりするので
3年経った今でも、仮設住宅に住んでる人がいるっていう事実が
普段からヒシヒシとつたわっていて
心が苦しいです。


募金することや、心で想うことくらいしか
わたしはできませんし
自分がそのくらいしかできないのは
偽善だからと言われてしまえば
否定できません。

でも、なにもしないよりやる偽善。

募金はいまからしてきます。
できることはしたいです。
みなさんでもできること
まとめておきたいのでなにか
あったら教えてください。


知ってるかもしれないですが、
いまYahoo!で
3.11と検索すると
10円募金できます。

http://www.yahoo.co.jp/

少しでもやってくれる人がふえるといいなあ

わたしも探しますので
ほかにもできることがあったら
教えてください。

それでは。