こんにちは、聖代ですニコニコ




1月は、3冊、本を読みました。

3冊目に読んでいる本

「人生に意味はあるか」

諸富祥彦/著

(講談社現代新書)

に書いてあるワークを順番にしていたところ、

ブログに書こうという思いが湧いてきました。





私は、「書く」ワークには、

取り組むのになんだか抵抗があって

スルーしてしまうことが多いのですが、

今回は、4つ目のワークで難なく

内側から自分の答えが出てきたので、

そちらをシェアしますね。







67ページから引用

『いよいよ、この模擬授業も最後の段階に入りました。これまで自分自身の内側で生じてきたさまざまな思考や心の動きをもう一度振り返ってみましょう。そして最後に、「自分自身の本音(素)の立場」に返って、「人生の意味の問題をどう考えるか」「それはなぜか」「この問題について、気づいたこと、考えたこと」の三点を書いてみましょう』




●人生に意味はあるか、ないか。あるいはこの問題をどう考えるか



この問題を深く考えず、楽しく人生を送れるなら、それがいい。

深く考えずにいられない時は、深く考えるといい。

その時々に合わせて選択するといい。

                 聖代




●それはなぜか



答えはあると考えるもないと考えるも自由。

人生のある一場面ではあると考え、また別のある一場面ではないと考えるということがあっても構わない。

一つに固執することが人生を苦しくすると思うから。

「ある」も「ない」も表裏一体、陰陽併せ持つということだから。

                 聖代




●この問題について気づいたこと、考えたこと



人生に意味は「ある」か「ない」かという問いに対する答えは人の数だけある。

単なる2択ではない重み、軽さがあると考える。

深く考えるも、浅く受け流すも、その人の自由。

自分の人生を意味付けして「ある」とするも、思考を止めて「ない」とするも、自由。

私は、今この瞬間は「ある」と思っている。

だから、こうして文章を書いている。

「ない」と思うなら、この本を読んでいないし、このワークにも取り組んでいない。

今この瞬間、確かに私の人生には意味がある。

                 聖代




いかがだったでしょうか。

「言語化への苦手意識」が

和らいできたように感じて

嬉しさを感じています。



あなたは、考えるも、スルーするも自由。



それをいつも心に留めて、

迷いが生じた時は

内側の深い自分の気持ちと照らし合わせて

考えたりスルーしたりすると

上手くいくように思います。