ワイドショーの、
無為にも取れる税制論争をBGMに、
年末に出来なかった大掃除の
申し訳程度の代替行為として、
部屋の上辺だけを撫でるように掃除をしていると、
昔書き綴った言葉達がいた。


そこに吐き出された文脈は
この街に立っているその時の自分だった。


二十代半ばの頃だと思う。
大学を出て、
夢と現実の距離を推し測りながら
言葉は、もがいていた。



六本木という夜の街の空気にも
少しばかり慣れた気になって
中央線や私鉄沿線沿いにある、
日々と虚構の間を彷徨う行為を少々穿った見方をしていた。


ほんの数年前の事なのに
三十路の入口を通過した今の自分から見て、
妙に若く滑稽に見えた。


横に構成を記述したメモが
書き殴ってあった事から
きっと舞台にのせようと
試みた内容だったのだろうと思う。


自分の過去に推測が走るのは
それだけ他愛のない
一時の激情だったのだと思う。


けれど、改めて読み返してみると
今の自分にはない何かがそこにあった。


掃除の手を止めて、
頭の中に世界を描いてみる。


ところどころ空白で
曖昧に変容するラフスケッチ。


紙の上に注いで、
そのまま埋もれてしまった彼らを
これから自分はどれだけ表舞台に出してあげられるのだろうか。


自浄行為としては役目を終えた
紙面上の踊り手達に
照明を当てて、
その先にある共有の証明作業を与える。


フィクションのような自然の力に、
世界の中心軸をずらされてしまった自分の中で
目の前に引かれたスタートライン。


ここからまた出発が出来れば良いと思う。



ちょっぴり感傷的になった思索を言い訳に、
掃除はおざなりにしてしまったけれど
開けた窓から流れる冷たい空気に
深呼吸をして背筋を伸ばした。