今、仕事で出張中です。
ブログはお休みの予定でしたが、ふと、この言葉が頭をよぎったので、携帯電話から書くことにしました。

起きて半畳、寝て一畳という言葉は亡くなった父親がよく例え話に使っていたようです。

意味は、人間、起きて座っている時は、畳にしたら半畳あれば十分、寝ている時でさえ、畳一畳あれば十分という意味です。

これは、物資重視のライフスタイルに対する、ある種の警告とも捉えることができます。

私事ですが、先日、引越しをしました。新居はいわゆる二世帯住宅なのでキッチンは2つあります。
一般的な一戸建て住宅と較べると広いほうに属するかと思います。

我が家はとにかく物が多い家で、三人住まいなのですが、引越しの荷物は2トンロングのトラックで5台ありました。
引越し直後は荷物で溢れかえり、寝るスペースもないあり様でした。
唯一空いていたスペースはキッチンで、引越し当時は真冬で寒かった事もあり、母親のアイディアで余っていた畳を一枚敷いて、キャンプ用のミニテーブルを置いて、家族三人が食事をしていました。

起きて半畳とはよく言ったものです。
我が家のリビングは一畳あればなんとかなります。

以前より、広い家を授かったと感謝していますが、その広い家から、狭いスペースでも人間生きていけることを、教えられました。

物にこだわった生き方ではなく、生き方そのものにこだわりたいものです。

商売半畳!
このブログが読む人の心に、一畳の光を照らす事を願っています。笑




iPhoneからの投稿

 私の家ですが、ウッドデッキが里山に面しており、朝は小鳥の鳴き声で目が覚めます。

 (なんて、書いていますが、まあ、実際は「目覚まし時計の音」で目が覚めます。笑)


 まだ、この家に引っ越してきて数ヶ月なのですが、ウグイスの鳴き声がこんなにきれいだとは思ってもみませんでした。

 ウグイスの鳴き方にも上手、下手があるんですよねえ。

 ふと気づくと、無意識に「小鳥と対話している自分」がそこにありました。


 「この鳥を捕獲して、鳥篭で飼ったら・・・」なんて、あるまじき発想が心をよぎりましたが、改めて心を入れ換え、「小鳥のために、何かしてあげられることはないかな?」って思うようになりました。


 そこで、思いついたのは「巣箱」でした。


 インターネットでいろいろと調べたら、巣箱を利用する鳥は概ね以下の種類の鳥に限られているようでした。


■巣箱を利用する鳥:


 シジュウカラ、ヤマガラ、スズメ、ムクドリ、ブッポウソウ


 巣箱の作り方(サイズ)も紹介されていたので、早速DIYに・・・


 こんな風に仕上がりました。


曼荼羅(Man-dala)


 実は、引越しに伴って廃材などが余っており、全て「家にあったもの」ばかりなので制作費はゼロです。


 画面が小さいので、見づらいかもしれませんが、巣箱の屋根は蝶つがいになっているので、蓋が開いて中を見ることが出来、またお掃除もできます。
 屋根についている黒いものは雨よけです(このままでは雨が中にしみていくと思ったので)


 ちなみに、材料ですが元は親父が手作りした「仏壇」です。
 仏壇といっても家具調の仏壇なので、パインの集成材ですが。


 引越しに伴い、仏壇を新しく新調し、古い仏壇をどうしようか?と思っていましたが、思わぬところでリサイクルができました。


 巣箱もいろいろとサイズがあるようで、とりあえずシジュウカラと、ヤマガラにサイズを合わせています。
 さて、どんな鳥が来るやら・・・・


 まあ、材料が元は仏壇だったのできっと、『ブッポウソウ(仏法僧)』、が来るような気がします。(爆笑)



 今から、 2つの創作話をします。


 2つとも、回転すし店でお寿司を食べている家族のお話です。


■創作話【1】 : 『子沢山の家族』


 年末のある日、少ないがボーナスをもらった子沢山の家族の物語です。

 40歳を迎えた夫婦と、8人の子供のいる家庭のお話です。当然、生活は苦しいはず。

 その家族が回転すし店に行きました。


 父親:今日は腹いっぱい食べていいぞ!
 子供1:お母さん、ホントにいいの?
 母親:いいよ、お父さんが一生懸命働いてボーナスをもらったから、今日はお腹いっぱい好きなものを食べてもいいよ。
 子供2:僕、サーモン!
 子供3:私、マグロのトロ!
 子供4:僕、ウニとイクラ・・・・


 父親:絶句!(汗)
 母親:無言・・・

 子供3:なんか、これ高そう・・・まあ、普通のマグロでいいや・・・うん、おいしい!
 母親:安堵・・・・
 子供4:僕も、玉子巻でいいっか・・・


 子供全て:ワイワイ!



■創作話【2】 : 『ある老夫婦』


 身なりはそれなりに立派だが、老夫婦がカウンターに二人で座っている。表情に笑顔はない。


 老人(男):このマグロ、一応はトロって書いてあるが、まずいのう。
 老人(女):そうですねえ、あなた。昔は一緒に江戸前すしで、大トロを食べたけど、やっぱりそっちのほうがおいしいですね。


 老人(男):わしは最近、何を食べてもおいしくないわ・・・・
 老人(女):どうして、こんな風になったんでしょうねえ。たまにはあんな孫の顔が見たいですねえ。近頃は寄り付きもしなくなりました。やっぱりお小遣いを上げないとだめなのでしょうかねえ。


 老人(男):金の切れめが、縁の切れ目かあ・・・・


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 さて、この2つの物語を読んで、何を感じましたか?

 2つとも、私の創作話です。

 でも、ありそうな話だと思いませんか?


 どちらの家族も、同じ回転すしを食べているのだけど、片方は普通の安いマグロを食べてワイワイやっていますが、片方は大トロを食べても不満足です。


 でも、どちらも食べているのは同じ回転すしです。


 どちらが「幸せ」か・・・・?
 これはあくまでもフィクションですが。


 私が思うのに「幸福も不幸も実は大差ないのでは?」と考えています。


 全く同じことでも、それを『幸福に感じる心』と、『不幸に感じる心』の違いだけのような気がします。


 雨の日に「じめじめして憂鬱になる」って思う心と、「雨が降って、緑が綺麗だな」って感じる心の差とも言えるかもしれません。


 このお話を、ある「賢者」にしたところ、次のようなコメントをいただきました。


※コメント:


 人間の動機付け理論で『お金』は幸福の要因では無いことになっています。
 逆に不幸の要因です。(衛生要因)
 つまり、ある程度ないと不幸になるけど、一定額を超えたらそれ以上は意味が無いのだそうです。


 ビルゲイツに向かって「逆立ちしたら100万円あげる」と言っても鼻で笑われるだけですよね?

 僕だったら喜んで逆立ち……出来ないんでした(;_;) 


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 彼はとても頭のいい人で、この世に出来ないことなど1つもないほどの「すごい人」なのですが、どうも「逆立ち」だけは苦手なようでした(爆笑)