今日の診察では、先日の頸部造影MRIとPET-CTの結果が分かるはずだ。
前の記事にも書いたとおり、首のしこりに端を発した今回の騒動は、首のしこりの消失と共にしっかりと幕が下ろされるはずだ。
教授先生の「異常なし!今の治療を続行だな」と、今回も自分の出番がなかったことに不満の色を見せながら宣言する顔が、今から目に浮かぶようだ。
その前に、耳鼻科でまだ若い医師の診察がある。
抗がん剤ハゲの僕が言っちゃいけないが、若いと言ってもすでにカッパハゲだ。
多分、医者になるのに相当勉強したに違いない。
僕の首のしこりを、
「痛みがないしこりというのは気になりますね・・・」
と、眉をひそめた先生のことを、
(まだ臨床経験が少ないから触診だけでは判断がつかなかったのだろう)
と評したあの先生のことだ。
しかし、しこりがなくなってしまってばつが悪かった僕は、自らこの話題を出さないつもりでいたのだが、先生は電カルを見ながら、
「あれからどうなりましたか?」
と、しっかり聞かれてしまった。
お騒がせしましたと恐縮する僕に、
「ああ、悪いものならしこりがなくなるわけないから、それはよかったですね。」
と、言ってくれた。
さて、教授先生との診察。
今日は一人の学生さんと、いつものとおり秘書役の看護師さんの3人が診察室にいた。
「結果はどうでしたか?」
とせっつくとたちまち機嫌が悪くなりそうなので、教授先生から話があるまで大人しく待つことにする。
まずは、触診。
右と左のわきの下のリンパ節をぎゅっぎゅっと痛いくらいにぐりぐりすると、学生さんに
「右のしこりを触らせてもらいなさい」
と、触診を促す。
(んー?そこじゃないんだよなぁ・・・)と、微妙に違うところをグリグリする学生さん。
「どう、分かるかい?これは上級者向けかもしれないな。」
という教授先生に、学生さんは困ったように
「いえ、全然分かりません」
と答える。
上級者向けと言われたことでなぜだか得意になった僕だったが、とうとう学生さんは探りあてた。
「お、そこです!」
と思わず声を上げたが、なんだか自分の体を使ったクイズの出題者にでもなった気分だった。
しかし妻は、
「え?右腋窩リンパ節が腫れている?」
と、初めて聞いたような顔をした。
無理もない、僕だって言われるまで忘れていたくらいだったのだから。
教授先生はそんな妻に、
「前からあったんだよ、のぺっと平たいしこりがね。」
とおっしゃる。
続いて、
「首のうしろはどうだい?」
と聞かれたので、
「後頭部のものは、大きくなったり小さくなったりするので本当に不思議ですね」
先生はノギスを持ち出して後頭部のモノの大きさを測りながら、
「そうだな、大きさが変わるんだよなぁ。大きい時で2センチくらいあったかなー。」
「首のしこりは消えたんですけどねぇ。。。」
と言うと、先生は苦笑しながら、
「消えたって?しかしね、この間の造影MRIでは写ってたんだよなー」
ええ?首メタだったの?
いよいよ本題に入り、先日撮ったPET-CTの画像がパソコンに出てきた。
「さっきの右腋窩リンパ節はこれだね。前回のCTと比べると大きさは変わっていない。・・・ここも光っているけど、これは炎症っぽいなぁ。そしてこれが首のところ。」
見せてもらうと、確かに首と思しきところが鮮明に光っていた。
「これが後頭部だね」
ああ、確かにそこの部分だけが光っている!
「人体の全ての内臓は宇宙とつながっている」・・・と、考えたのは伝説の解剖学者、三木成夫だった。
自分の体内で赤く光るPET-CTの画像を見ていると、こんな世界を想像してしまった。
<「宇宙に輝く赤いクリスマスツリー」から引用>
それにしても、首のリンパ節に転移していたのか。
そして、大きくなったり小さくなったりしていた左後頭部の不思議ものは、やっぱり転移だったのだ。
左後頭部のものは(もしかしたら転移かもね)って思わないこともなかったが、首のメタはショックだった。
教授先生はこう言葉を続けた。
「CEAは横ばいだね。あなたの場合は転移が出たり引っ込んだりしているけど、全体から見れば腫瘍の量自体は変わっていないと考える。だから今のホルモン療法は継続しよう。今のホルモン療法は二つめだね?男性乳がんに効果があるかどうかは分からないけど、あと、2~3ホルモン療法の薬がある。それが効かなければ抗がん剤だ。ただ、今、抗がん剤を使うのは時期尚早だと思う。」
次の診察日の4週間後は教授先生がお休みのようで、6週間後になった。
あ、今気づいたけど、ポートフラッシュはしなくてもいいのかな・・・ま、2週間遅れくらい大丈夫か。
いつものようにランマークとポートフラッシュをしてもらって、帰路につく。
樹木希林を真似て、
「ああ、これこそ全身がんだね?」
と何気なく隣の妻に言うと反応がないので訝しむと、目に涙を貯めて泣きそうな顔になっていた。
(これはいかん!)
と、慌てて、
「教授先生も言っていたけど、出たり引っ込んだりしてるけど全体の腫瘍量は変わらないって。要は現状維持されているってことだよ。」
と繕った。
妻は涙をこらえながら、
「消えてほしい。一気に癌を消してほしい」
とつぶやいているのを聞いて、僕は慌てて天井を睨んだ。
首のしこりから始まった一連の騒動は、結局、
○ 左首リンパ節への転移
○ 左肺下葉に新たな結節
○ 長年不思議だった左後頭部の大きなデキモノは、皮下腫瘍
と、新たな病変を示した。
もう、多発過ぎてどこに転移があるのか覚えていないほどだ。
この病気になった頃、あらゆる乳がんの闘病ブログを読み漁ったが、これほど転移をして生き延びた人を僕は知らない。
僕のよく当たる予知夢のとおり、50歳まで生きることができれば「御」の字だな。
・・・つまり、あと4年。
つまり余命4年。
教授先生のドクターハラスメントについてはこれまでも何度か記事にしてきたが、今回の診察で新たに感じたことがある。
それは、教授先生って根っからの職業医師なんだなってことだ。
教授先生は画像や血液検査などから得られたデータ、放射線医師の読影所見などを鵜呑みにすることなく、自分の臨床経験や知識から総合的に解釈して判断する。
反面、自分の知識外のことになるとまるで無関心だ。
そこに患者の希望や意思というのは、教授先生の判断に比べれば優先度は格段に低いものとなる。
こういう先生にはがん患者のQOLなんて、・・・全く考えていないわけでもないだろうけど、ステージⅣの患者はいかに現状を保つことができるのか・・・ということが、教授先生の全ての関心事になる。
腫瘍内科医としては立派だが、「患者に寄り添う」なんて言葉はこの先生のガイドラインにはない。
きっと教授先生にとって、自分のところの癌患者はモルモットか何かの実験対象に見えているに違いない。
「ワシの絶対的な判断に口を挟むことは許さない。口を挟むのならワシは知らん」
教授先生は一貫してこのスタイルだ。
僕はやっぱりこの先生には最後を看取られたくないかな。