子供のころ、僕は時々予知夢を見ることがあった。
「あれ。この風景、この状況ってどこかで見たことがあるぞ」ってよくよく思い出してみると、それが少し前に見た夢の中での出来事だったりした。
大人になるにつれて心が穢れてしまったせいなのかあまり見なくなってしまったが、思い返しても不思議な現象だった。
数年前、友人と「何歳くらいで死ぬと思う?」なんてことを他愛もなく話していた。
僕はその時閃きに近い直感で、「50歳くらい・・・畳の上で」って言ったのだが、根拠はないのに妙な確信があった。
こんなことを他人に話したところで信じてくれるはずもないが、この病気になった時、
「ああ、あの時の直感ってこのことだったんだな」
って一人で得心していた。
この直感が正しいのなら、僕の病気の病理結果はひどいものだったが、少なくともあと5年くらいは生きていられることになる。
死んだらどこにいくのだろう。
一度は誰しもがこのことについて考えるに違いない。
子供のころ、テレビで見た西遊記の「天竺」みたいなユートピアがあるのだろうか。
それとも閻魔大王の裁きを受け、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で描写されるようなおどろおどろしい地獄のような所に連れて行かれるのだろうか。
紀元前600年ごろの人とされるお釈迦さんは、
「死んだらどこへ行くのだろう」
なんてことは考えても仕方がないこととして、いわゆる「無記」とした。
考えても答えがでないことを一生懸命考えるよりも、
「生きる苦しみ・老いていく苦しみ・病の苦しみ・死の苦しみ」
といった四つの苦しみからの解放を目指して出家したことは有名な話だ。(四門出遊)
僕なんて凡夫中の凡夫。
考えても仕方がないことを一生懸命に考えてしまう。
今だから言う。
この病気になる前、いわゆる闘病ブログに夢中になった時期があった。
普通に生活していた人がある日突然病気になって余命を宣告され、どんどん体が弱り、やがて死を迎える。
人は余命を宣告された時、何を考えるのか。
体が弱って起き上がれなくなった時は、どのように死を受け入れるのか。
そして、最後の瞬間は何を喋り、何を見るのか。
闘病ブログを読み漁ることで、未知なる死への恐怖を幾ばくかでも打ち払おうとしていたのだが、否応なしに極めて正確な答えを知る立場になったのは皮肉を通り越して笑い話でしかない。
さて、この病気になり、あれだけ興味があった死というものに真っ向から考えざるを得なくなってどんな気持ちになったか。
病気が分かった時のことを振り返ってみると、決して潔く受け入れるなんてできなかった。
毎日のように泣き、世の中を恨み、生きる希望を失い、絶望感というものをリアルに味わった。
今の精神状態はあの頃よりは少しマシになったが、それでも自分が病気であることは1日たりとも忘れたことはないし、2日に1度は再発した時のことを考える。
現在僕の病気は寛解状態にあり、覚悟はしているもののただちに死と向き合なければならないことはない。
しかし、愛読していた同病の方のブログの更新が不自然に途絶えるのを見ると、決してこれは他人事じゃないんだと気持ちを引き締めざるを得ない。
以前の記事にも書いたが、全身麻酔を体験してからは死ぬってこんな感じなんだろうなって思うと、昔ほど怖くはなくなってきた。
あとはもう苦しまずにぽっくりいきたいと願うばかりである。
暗い話をするつもりはなかった。
僕が言いたかったことは、いたずらに死の恐怖に怯えて生きていくよりも、生命は限りあるものなんだと素直に受け入れて、再発しようが余命を宣告されようがこの瞬間を大事に生きていかなきゃいけないねってことだ。
生命は有限だってことを身をもって考えないといけない病気になったのだから、無為に過ごす時間などないのだ。
「早い人なら術後半年で再発する」
という主治医の言葉に戦々恐々としながら、更賜寿命を得て今日まで生きながらえている。
抗がん剤の副作用は完全に消えたわけではないが、この貴重な寛解期間を無為に過ごしてはならぬと、あの手術の日から2年目にして改めて気を引き締めた。
「あれ。この風景、この状況ってどこかで見たことがあるぞ」ってよくよく思い出してみると、それが少し前に見た夢の中での出来事だったりした。
大人になるにつれて心が穢れてしまったせいなのかあまり見なくなってしまったが、思い返しても不思議な現象だった。
数年前、友人と「何歳くらいで死ぬと思う?」なんてことを他愛もなく話していた。
僕はその時閃きに近い直感で、「50歳くらい・・・畳の上で」って言ったのだが、根拠はないのに妙な確信があった。
こんなことを他人に話したところで信じてくれるはずもないが、この病気になった時、
「ああ、あの時の直感ってこのことだったんだな」
って一人で得心していた。
この直感が正しいのなら、僕の病気の病理結果はひどいものだったが、少なくともあと5年くらいは生きていられることになる。
死んだらどこにいくのだろう。
一度は誰しもがこのことについて考えるに違いない。
子供のころ、テレビで見た西遊記の「天竺」みたいなユートピアがあるのだろうか。
それとも閻魔大王の裁きを受け、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で描写されるようなおどろおどろしい地獄のような所に連れて行かれるのだろうか。
紀元前600年ごろの人とされるお釈迦さんは、
「死んだらどこへ行くのだろう」
なんてことは考えても仕方がないこととして、いわゆる「無記」とした。
考えても答えがでないことを一生懸命考えるよりも、
「生きる苦しみ・老いていく苦しみ・病の苦しみ・死の苦しみ」
といった四つの苦しみからの解放を目指して出家したことは有名な話だ。(四門出遊)
僕なんて凡夫中の凡夫。
考えても仕方がないことを一生懸命に考えてしまう。
今だから言う。
この病気になる前、いわゆる闘病ブログに夢中になった時期があった。
普通に生活していた人がある日突然病気になって余命を宣告され、どんどん体が弱り、やがて死を迎える。
人は余命を宣告された時、何を考えるのか。
体が弱って起き上がれなくなった時は、どのように死を受け入れるのか。
そして、最後の瞬間は何を喋り、何を見るのか。
闘病ブログを読み漁ることで、未知なる死への恐怖を幾ばくかでも打ち払おうとしていたのだが、否応なしに極めて正確な答えを知る立場になったのは皮肉を通り越して笑い話でしかない。
さて、この病気になり、あれだけ興味があった死というものに真っ向から考えざるを得なくなってどんな気持ちになったか。
病気が分かった時のことを振り返ってみると、決して潔く受け入れるなんてできなかった。
毎日のように泣き、世の中を恨み、生きる希望を失い、絶望感というものをリアルに味わった。
今の精神状態はあの頃よりは少しマシになったが、それでも自分が病気であることは1日たりとも忘れたことはないし、2日に1度は再発した時のことを考える。
現在僕の病気は寛解状態にあり、覚悟はしているもののただちに死と向き合なければならないことはない。
しかし、愛読していた同病の方のブログの更新が不自然に途絶えるのを見ると、決してこれは他人事じゃないんだと気持ちを引き締めざるを得ない。
以前の記事にも書いたが、全身麻酔を体験してからは死ぬってこんな感じなんだろうなって思うと、昔ほど怖くはなくなってきた。
あとはもう苦しまずにぽっくりいきたいと願うばかりである。
暗い話をするつもりはなかった。
僕が言いたかったことは、いたずらに死の恐怖に怯えて生きていくよりも、生命は限りあるものなんだと素直に受け入れて、再発しようが余命を宣告されようがこの瞬間を大事に生きていかなきゃいけないねってことだ。
生命は有限だってことを身をもって考えないといけない病気になったのだから、無為に過ごす時間などないのだ。
「早い人なら術後半年で再発する」
という主治医の言葉に戦々恐々としながら、更賜寿命を得て今日まで生きながらえている。
抗がん剤の副作用は完全に消えたわけではないが、この貴重な寛解期間を無為に過ごしてはならぬと、あの手術の日から2年目にして改めて気を引き締めた。