結婚したその年の秋、義母が自宅の階段で足を滑らして落下した。
救急車で近くの大学病院に運ばれたが、懸命に蘇生措置をしていただいたにも関わらず救急処置室でそのまま帰らぬ人となった。
死亡診断書には、「頸骨捻挫」と書かれていた。
半年だけのお母さんに何もしてあげることができなかったが、生前、なんとか娘(妻)の白無垢姿を見せることができたのがせめてもの親孝行だと思っている。

義母は若い頃乳がんを患った。
本人から直接お話をお聞きしたことはなかったのだが、妻や義父の断片的な話をつなぎ合わせると、どうやらハルステッド法で胸の筋肉からリンパ節までごっそりと摘出したらしい。
そういえば義母の腕はいつも「えっ」と思うくらい固く紫色に腫れ上がっていた。
常に弾性スリーブを着け、腕を肩から下げないようにしていた姿を覚えている。
他にも若い頃の交通事故が原因で足を不自由にし、歩くときはいつも杖をついていた。
階段から転落したのは、足が不自由だったことも関係あるに違いない。

しかし亡くなった原因が癌でも交通事故でもなく(間接的には関係あるかもしれないが)、階段からの落下というのは皮肉なもので、人生ほんとに何があるのか分からない。

大病や事故で体を不自由にしていたものの、普段から活発でとても元気なお婆ちゃんだった。
勉強家で、聡明で、グルメで、お出かけ好き。
僕のことをとても可愛がってくれ、しょっちゅう「たいちくん、たいちくん」と僕を呼び、その声が今でも耳の奥で響いている。

結婚後、わずかな期間で亡くなったことが残念でたまらない。
義母は僕の乳がんを知らずに亡くなってしまったが、もし生きていたらきっといろんなことで相談に乗ってくれただろう。

僕は左の腋下リンパ節を廓清したので蜂窩織炎になることを警戒していたが、注意しなければいけないことの一つに「虫さされ」があった。
以前、「16 腋窩リンパ節を廓清するということ」でもふれたが、手術直後は真夏でも長袖を着たり、外出時は虫よけスプレーをふりまくっていたのだ。
今ではすっかりルーズになってしまったが・・・。

そんな僕を見ていた妻が、
「抗がん剤を打っている間は蚊のほうが嫌がって寄ってこないって、母(亡くなった義母)が言ってたよ」
と話してくれた。
そんな馬鹿な・・・とは思ったが、血液中に溶け込んだ抗がん剤という「毒」を、血を好物にしている蚊が嫌がるというのはよくできた話だ。
しかし思い返して見れば、抗がん剤やハーセプチンの投与期間中に虫に刺されたという記憶がない。

「抗がん剤投与中の患者に蚊は寄ってこない」

これは都市伝説なのか、それとも真実なのだろうか。