僕は睡眠時無呼吸症候群の治療のためCPAPを装着していたので、手術後は病棟に戻らずにICUに入ることになっていた。
手術から間もなく1年が経つが、覚えているうちに辛かったICUのことを書いておきたい。

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今から思うと麻酔の効果が徐々に抜けてきたのだろう。
(寝ている・・・)というもやもやっとした不思議な感覚の中で目が覚めた。
事前に予習していたところによると、目が覚めると同時にラリンゲルマスクが引き抜かれるとのことだったが、僕の場合はすでに抜かれていたようだ。

以下、意識が朦朧としていて正確ではないところがあるかもしれないが、覚えていることを書いてみる。

まず麻酔から目が覚めると、ぼんやりした頭で自分の置かれている状況を把握しようと試みた。
体のあちこちにはバイタルセンサーが取り付けられているようだ。
手術創の痛みはあまり感じないが、術側の左腕は動かしてはいけないことが本能的に分かった。
近くにいた研修医の山田(彼には少々恨みがある)に聞くと、
「麻酔が切れてくるから、これから痛むと思いますよ」
と言って僕をビビらせたが、後で同じことを主治医に聞くと、
「もうこの時間で痛まないなら大丈夫です」
と言ってくれた。
主治医の言葉の通り、その後も手術の傷の痛みはほとんど感じなかった。

ICUには自分の母と妻が僕のベッドのそばに付き添ってくれていたが、面会時間の終わりが迫っていたようで、僕が目覚めてから15分くらいするとあたふたと帰っていった。
時間はちょうど15時くらいだったように思う。


【麻酔から覚めた第一声】
麻酔から覚めた第一声は、手術前から決めていた。
「センチネルリンパ節はどうでしたか?」
だ。
これはナースのぴこるるさんが麻酔から覚めた時の第一声なのだが、それを真似してみたかったのだ。
残念ながらぴこるるさんは乳がんカテゴリーから抜けられたようで、男の身分なのでブログにおじゃまするようなことは遠慮させてただいているが、このことを告白させてもらう。

ふらっと様子を見に来られた感じの主治医は、腹ただしいほどの軽い調子で、
「センチネル、6つとったけど全部だめだったよ。」
と言いながらICUを去っていった。
僕は絶句してしまったが、朦朧とした意識下では泣くこともできない。


【全摘した左胸】
タオルの上から強く胸帯が巻かれており、主治医や看護師が頻繁に手術創の状態を確認しにきた。
その都度胸帯を巻き直しをされるのだが、ヘタレの僕は怖くて傷口を見ることができなかった。
ちなみに術後1年経っても、まだ鏡を通して自分の胸を見ることができない。

【左脇の下】
何かを挟んでいるなという感覚をずっと感じていた。
しかし、実は何も挟んでいないと分かって愕然としたのは、術後2~3日経ってからで、初めてシャワーを浴びるために服を脱いだ時のことだった。

【右腕(患側)】
輸液ポンプによって点滴されており、ポンプには手書きで、
「左腕・・・採血、血圧禁止」
と書かれたメモが貼付けられていた。

【ドレーン】
直接見て確認したわけではないが、看護師が定期的にベッドの下にしゃがみ、プラスチックタンクに溜まった廃液を捨てていた。
その時にシュポシュポという音がしていたので何をしているのかなと思っていたが、後で調べたところによると陰圧をかけていたのだろう。

【性器】
痛くはないが違和感があり、常にチョロチョロと自覚のある尿漏れをしているような感じがした。
事前に予習していたとおり、術中に尿道バルーンカテーテルを挿入されたのだと気がついた。
これを挿入されるのは本当に嫌だった。
挿入時は麻酔によって自分の知らないところで留置が終わっているのだろうけど、問題は抜くときだ。
女性のブログではあまり触れられていないので女性にとっては大したことないのかもしれないが、手術後の男性のブログを見ると、
「あまりの激痛のため、看護師さん監視の元で、自分でそろそろと1mmずつ抜いた」
とか、
「周囲をはばからず、痛い痛いと喚き散らした」
などの話を目にしていたため、術前からかなり鬱になっていたが、この話の詳細はまた別の記事でお話したい。

【両足】
­血栓予防のために圧迫感のある靴下のような弾性スリープを履かされ、さらに両足には下駄のようなフットポンプが取り付けられていた。
これは自動的に空気が送り込まれて膨らんだりしぼんだりするのだが、足裏マッサージのような心地よさはなく、弾性スリープもフットポンプも、うっとおしい限りであった。

これから明日の11時までICUにいることになるのだが、本当に辛いのはこれからだった。