2017.4.14
左後頭部腫瘤の炎症性の痛みに加えて、午後からは頭痛が頭部全体に広がってきた。
この後頭部の腫瘤が影響した頭痛かどうかは分からないがおかげで全く仕事に集中することができず、痛みで食欲も仕事をする気力も失せてしまい、文字通り自席のパソコンの前で頭を抱えて終業時間をひたすら待ち続けていた。
仕事ではコンペで使う提案書の締切りが来週の火曜日という切迫した時にも関わらず、金曜日に待ちわびたように定時で帰ろうとする僕を残業する同僚らが冷たい視線を送ってきた。
僕は癌が再発したことを早々に会社に公表するつもりはなかったのだが、ちょっとした別の理由で上司に話さざるを得なくなり、必要最小限の人にしか言わないでほしいとお願いしていた。
しかし、先日の部の定例会で僕への事前相談なしに発表されてしまい、同僚にも僕が再発したことが分かってしまった。
もちろん、医者から急に悪くなる可能性があると言われた以上、同僚に迷惑をかける可能性が大きいのでいずれ発表しなければいけなかったことだけどね。
でも病気だからという理由で泣き言や弱音など吐きたくないし、「病気だったらしょうがねーな」なんて特別扱いもされたくないけど、この時の同僚の冷たい視線は深く心に突き刺さってしまった。
自宅に帰り、じわーっと痛む頭痛でベッドにうずくまったまま動けなくなった自分が情けなく、恥ずかしながら悔し涙を流してしまった。
考えてみれば、癌が原因でQOLに影響を与えるほど体調が悪くなったのはこれが初めてのことかもしれない。
手術をする前は、癌が住み着いた左胸にはやっぱり今回と同じような炎症性の痛みがあり、あまりの痛さにシャツをもちあげてパタパタしながら「ふーふー」と乳首に息をふきかけていた。
もちろんそんなことでマシになるわけがないけれど、そうしたくなるほどの耐えがたい痛みだった。
でもこれは手術をする前のわずかな期間だけで、しかも断続的なものだった。
手術後、これまで様々な痛みや体の不具合を訴えてきたが、これは癌由来のものではなく、全ては再発予防のための術後の薬物・化学療法で人工的に作られたものだった。
しかし、今回は違う。
明らかに僕の体内に巣くう癌が間断なく痛みのボタンを突いている痛みで、とうとう本当に癌という病気と真正面から対峙する時がやってきたのだ。
闘うというよりかは悪あがきというべきかもしれないけど。
次の診察日まであと10日ある。(※ この記事を書いている時から数えて。)
もちろん予約外で飛び込みで診察を受けることもできるけど、躊躇するのはあの教授先生だからだ。
先日の診察時のあの一件で、教授先生の機嫌次第では相談に乗ってくれるどころか、「以上!はい、終わり、終わり」とまた診察室から追い出されるようなことになるんじゃないかと考えると、病院へ行く気が萎えてしまう。
そんな時にいくら相談しても「んじゃ、ケモやるかい?」と、脅し文句のような一言で済ませ、僕の気持ちに寄り添った診療をしてくれないんじゃないかと恐れてもいる。
副作用の激しいケモなんてしたくないし、できることならなるべく先送りにしたい。
僕が望むのはただの延命だけじゃなく、今あるこの不快な頭痛から解放されたいだけなのだが、「腫瘤が気になるんなら切ってもらえばいいじゃん」ではなく、今の僕の体の現状とこれから予測されることをちゃんと説明してほしい。
そして男性乳がん故にわずかしかないけれど、今の自分に最適な治療の選択肢を示してくれたらいいのに・・・と、ここまで書いててなんだか悲しくなってきた。
大学病院のHPを見ると緩和ケアセンターなるものがあって、まさしく今僕が必要とするような相談に乗ってくれる科があるのだが、組織図を見てやめた。
緩和ケアのセンター長をあの教授先生が兼務しているのだ。
江戸時代の蘭医学者の緒方洪庵が著した「扶氏医戒之略」には、
「病者に対しては唯病者を視るべし。貴賤貧富を顧みることなかれ」
と、診察は誰にでも分け隔てなく接するべしと医者を戒めている。
弟子の福沢諭吉は、
「客に接するにも門生を率いるにも淳々として応対倦まず、誠に類稀なる高徳の君子」
とべた褒めするくらいだったのだから、よっぽど人徳があった人だったのであろう。
今度、教授先生に教えてやろうかしらん。
ああ、頭が痛い・・・精神的にも病的にも。
タイトルのアライ(aray)は、フィリピン人が使うタガログ語で「痛い」を意味する。
医療系企業のテレビCMで、子供に各国の言葉(おまじない)で「痛いの痛いの飛んでいけー」と言ってる中にタガログ語(Aray aray umalis ka )があって懐かしい言葉を聞いてはっとしてしまった。
なぜそんな言葉を知っているのかって?
それは内緒だけど、僕は日本人女性にはもてなかったけど、日本人以外の女性からはまあまあ人気があったのだ・・・とだけ言っておく。