再発が確定して折角「闘病記カテ」へ戻ってきたのに、あまり病気に関係のない記事ばかり続いて申し訳ない。
今はアロマターゼ阻害剤の効果測定中で、次の診察日は2017.2.21を予定している。
血液検査のあとに教授先生の診察が予定されていて、CEAがさらに上昇していればケモへの移行導入が本格的に検討される大事な診察日になるはずだ。
なのでもったいなくも僕の容態をご心配いただいている読者の方は、ブログでの僕の報告をもう少し待っていてほしい。
さて、記事にはしなかったが、1月下旬に僕が仕事をしていた部署の執務場所が本社へ移転した。
もともと僕は昔から本社所属だったのだが、今の会社に転職してからしばらくして、僕がやらされていた仕事の特殊性から、本社から離れた支店の中に間仕切られた孤立した部屋をあてがわれ、それからはや10年近くなる。
自分の会社にいながら自分の会社ではないような感覚の中でずっと仕事をしてきたのだが、単身赴任の時に直接専務に現状を訴える機会があり、これじゃあまりにも不憫だし管理上も問題がある・・・ということになって、専務命令で1月という慌ただしい時期だったが本社への移転が強行されたのだった。
久々に本社に戻ってきてまた懐かしい面々と毎日のように顔を合わせることになった。
顔を合わせるようになったのは会社の同僚だけではない。
出入りする業者さんもそれは同じで、「おっ、ようやく戻ってきたねー」と握手を求めてくる人もいた。
その中には僕が入っている生命保険のおばさんもいた。
本社で勤務していた際はお寿司を食べに行ったり一緒に飲みに行ったりして仲良くさせてもらっていたのだが、僕が本社を離れてからは、僕が癌になって保険の請求手続きの電話をしたっきりになっていた。
お昼休みに彼女の顔を見かけた僕は、
「また本社に戻ってきたのでこれからもよろしくね。あ、そういえば妻が保険の見直しをしたいって言ってたからまた考えておいてくれない?」
と声を掛けた。
そして2、3日後のお昼休みに、
「プランができたよー」
ということで、会社の小さな会議室の中で説明を聞くことになった。
そのおばさんはもう我が社へ出入りするようになって何十年にもなる。
我が社の女子職員ともツーカーの仲で、僕が知らない社内事情も驚くほどよく知っている。
かつての記事の中で、「115 デスクに手向けられた白い花」という記事の中で、当時独身だった僕におせっかいな会社の長老連中から結婚相手として勧められた女性係長が癌で亡くなったことを書いた。
その時はなんの癌で亡くなったのかは知ることができなかったのだが、会社を休むようになってから半年余りという早すぎる死に大変なショックを受けたことを書いた。
生命保険のおばさんは僕が乳がんになったことを知っているので気を許したのだろう。
本来なら他人に話してはいけないのだろうけど、その女性係長の死についても詳細に事情を知っていて、声を潜めて彼女の死について教えてくれた。
なによりその女性係長はそのおばさんの保険に加入していたのだ。
病名は肺腺癌だった。
ちらっとこの病気について調べたところ、喫煙の有無には関係なく比較的女性に多い癌のようだ。
病気が分かった時にはすでに骨と脳に転移していて、本人に知らせていたかどうかまでは分からないが余命を宣告されていたような状況だったらしい。
保険のおばさんが病院にお見舞いに行った時には、
「なんで私がこんな病気になったの?」
とぽろぽろと涙を流していたが、気丈にも
「ごめんなさい、顔を見たらなんだか安心しちゃって」
とおばさんのことを気遣っていたと言う。
亡くなった時、顔だけは病気の前と同じように見えたが、体は見る影もなくやせ細り、お棺の中には何重にも綿を詰め込んだということまで話してくれた。
保険のおばさんだけに僕の会社の中にも名前こそあげなかったが何人も癌になっている人がいるし、ステージ4でも何年も生きて仕事をしている人もいるから癌なんて気合いで消しちゃいなさい・・・と、叱咤とも激励ともつかぬ言葉で励ましてくれた。
誰しもそうだろうけど自分が癌になるなんて夢にも思っていなかった僕は、当時おばさんの勧めもあまり聞かず、最低限の保険にしか入っていなかった。
それでも病気になった時には手術と入院中の治療費、そして入院1日につき〇千円というお金が給付され、けんぽの高額医療費の還元と合わせて経済的には非常に助かった。
元気な時は話を聞くことも考えることも勉強することも面倒くさい保険だが、大病をした経験からあえて言わせてもらうと、自分の身の丈以上に高額な保険に入る必要はないけれど、誰しもが等しく大きな病気になる可能性がある以上、やはり真剣に考えるべきだと思う。
保険も時代に合わせてどんどんと新しい商品が出てきているようだし、無関心な人は是非関心を持ってほしい。
僕はもう入りたくても入れないし、住宅ローン(団信)だって組むことができないのだから。