病気になる前は、宝くじに当たったことを想像しながら眠るのが好きだった。
買った十数枚の宝くじの束をどこにでもある小さな宝くじ売り場のおばさんに渡し、くじを機械にかけて検索するところから僕の想像ははじまる。
当選金額の赤いデジタル表示が300円→600円・・・と思い出したように上がり、少額当選が少しづつ増えていくのとは逆におばさんに渡した宝くじの束がどんどん減っていく。
「んーー、やっぱりだめかー」とあきらめかけた次の瞬間、高額当選くじのデジタル表示がぱっと「1枚」に変った。
おばさんがにこにこして、
「おめでとうございます・・・高額当選ですねー。身分証明書を持って銀行に行ってくださいねー。」
っと、僕の想像はとっても描写が細かい。
日本の宝くじの最高当選額は10億円だが、当然夢はビッグなほうがいい。
社会人になってから毎晩そんなことばかり夢見るようになっていった。
そして病気になってからも依然、そんなことを夢見ている。
億単位の宝くじに当たったら会社なんかすぐに辞めて、悠々自適の療養生活に入る・・・いや、誰にも言わずに日本から忽然と姿を消してみても面白いかなぁ、なんて想像のネタは尽きることがない。
がんの中でもステージⅣという最悪の病になったのだから、こんな状況下で宝くじを買ってみると神様が憐れんでくれてホントに当たるかもしれないな・・・と思いながらも実際に買いに行くことはしない。
宝くじは想像するものであって、実際に買ってがっかりするのはたまらなく嫌なのだ。
いつまでも、子供のように夢をみていたいと思う・・・46歳になるたいちであった。
さて宝くじの話は置いといて、がん患者にとって今一番欲しいものってなんだろうか?
お金?周りの温かいサポート?高品質なヅラ?それとも安楽死だろうか?
僕はベタかもしれないけど「健康な体」が欲しいと思っている。
・ 頭には普通に髪の毛があって、
・ 手足が痺れていなくて、
・ 歩くたびに刺すような陥入爪の鋭い痛みもなく、
・ 長袖のYシャツを着る時に苦労しなくてもいいリンパ浮腫の腕じゃなくて、
・ 普通に走れ、階段だって手すりを持たずに降りられる
・ そしてもちろん、サウナにだって行ける左胸があることは言うまでもない。
そんな普通の健康な体がほしい。
健康な体さえあればなんだってできる。
でもそんな当たり前のことに気づくのって、不治の病になったり、今までできていたことができなくならないと中々分からないものだね。
僕の体にはあちこちに癌が転移しちゃったけど、まだ日常生活は普通に送れている・・・ように、他人からは見えるかも知れない。
でも加齢による衰えを差し引いたとしても、手術前を100とすれば今は60くらいの体調だ。
もう手術前と同じ体調に戻るなんてことはないだろう。
今の僕にとっては10億円の宝くじと交換してでも手に入れたいものは健康な体なのだ。
ただ、一方でこんなことも考える。
もしも奇跡が起こったとして僕の癌が体の中から完全に消滅し、今ある不調がみるみる治ったとすれば、僕は神様に感謝しながら残りの人生を素晴らしいものに変えて行けるかというと、それはそれであんまり自信がない。
もしかしたらだんだんと病気になる前の自堕落な生活に戻ってしまうのかもしれないなぁ・・・なんて思う自分もいる。
とすれば、本質は「健康な体」ではないのかもしれない。
健康な体であっても自堕落な生活を送る・・・。
障害や余命宣告を受けた体でもキラキラした充実の日々を送る・・・。
となると、大事なのは心のもちようなのかもしれない。
よくよく考えてみればこのご時世、「心身ともに健康だ」って人のほうが少ないだろう。
なにしろ2人に1人ががんになり、40人に1人は心の病を背負っている時代なのだ。
とすれば、僕は今一番何が欲しいのだろう。
もう一度よく考えて見ると、それは・・・、
「何があっても負けない心」
・・・なのかもしれない。