たまたまテレビを付けた時、「ありのままの最期 末期がんの看取り医師 死までの450日」というタイトルを目にし、「ん?なんだろうこの番組は?」と思ってテレビの前のソファに座りこんだ瞬間、画面はエンドロールに変わってしまった。
丁度終わったところだったのだ。
「ああ、見たかったなぁー」と思ったけど、もう後の祭りだった。
数日後、お友達のあやを☆さんのブログにこの番組のことが書かれた記事がアップされていて、(もしかしたらYou Tubeで見れるかも)と思って検索すると、うまい具合に丸々アップされていた。
約50分の番組だったけど、一気に見てしまった。
僕は常々このブログの記事で触れてきたように、
○ 全身麻酔を経験したので、死への恐怖はなくなった。
○ 耐え難い痛みや苦しいのは嫌なので、早々に眠らせてほしい
○ 延命治療だっていらない
などと言ってきた。
しかしこの番組を見終わってから、自分が理想とする形ではなかなか死ねないものだなぁと考えさせられたし、改めて「癌」で死ぬことの恐ろしさが身に沁みた。
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この番組で描かれていたのは田中雅博さんで、2017年3月21日に70歳ですい臓がんでお亡くなりになった。
緩和ケアを行う内科医であり、真言宗の僧侶でもある。
つまり、癌で苦しむ患者を医学の力で救済し、仏教者としての立場から死生観を説く究極の「看取りのプロ」というわけだ。
自らも「癌患者語らいの集い」という月に1回の集会を主宰し、末期癌に苦しむ患者の声に耳を傾けてきた。
2014年10月。
そんな田中さんの身にステージⅣbのすい臓がんが見つかった。
「看取りのプロ」として何千人もの死を間近に見てきた彼の理想の死とはなんなのか?
そして彼はどのような死を迎えるのか?
田中さんは自分のお葬式までの全ての撮影を許可した。
つまり、彼自身はこの番組を観ることができないということだ。
番組の中で彼は死ぬのは怖くないと言う。
彼が希望していたのは、
○ DNR(do not resuscitate:心マ、人口呼吸器等の蘇生措置の拒否 )
○ 持続的鎮静(プロポフォールによって意識を失わせたまま死を迎えること)
の二つだった。
最初の異変は「せん妄」だった。
○ 今やったことを忘れてしまう
○ 言葉がスムーズに出てこない
○ そんな自分に傷つき、戸惑い、イラつき、その恐怖感からパニックを起こす・・・・。
これが「せん妄」なのだと、田中さんと同じ僧侶であり、医師でもある奥さんの貞雅(ていが)さんは言う。
せん妄はどんどんひどくなっていった。
ベッドの上で落ち着きなく動き回り、診察中の奥さんの名前を連呼する。
「貞雅、貞雅、貞雅、貞雅、貞雅・・・」と。
それが、
「お願いします、お願いします、お願いします・・・」
に変わり、やがて
「眠らせてください」
と死を渇望するようになる。
奥さんの貞雅さんはプロポフォールの投与という難しい決断を迫られるが、「眠りたいの?」という問いかけに対し、田中さんが大きく目を見開いて「うん」とうなずいたことで点滴を始めることを決意する。
しかし貞雅さんは点滴を開始した後も1日に2回ほど点滴を止めて、田中さんの目を醒まさせた。
まだ死なれたくないのだと貞雅さんは言う。
この頃になると田中さんはもう「アー、ジェジェジェジェ…」としか言えなくなる。
苦しいのだろうか?痛いのだろうか?それとも何か他に伝えたいことがあるのだろうか。
少しでも長く生きてもらうためにと無理に体を動かそうとする貞雅さん。
理解はできるが、「かわいそうだ」と言う批判的な意見もあるかもしれない。
そんな彼の姿を撮影し続けることに躊躇うクルーだったが、貞雅さんは、
「本人がのた打ち回ることも、取り乱すことも覚悟して受けた取材ですから」
と撮影続行の許可を出す。
田中さんの最後の姿は、点滴でしか栄養を取れなくなった田中さんに、貞雅さんがアイスクリームを食べさせていたシーンだった。
それから間もなく、貞雅さんから「逝きました」という連絡を受け、撮影クルーは布団の中で顔伏せを掛けられている田中さんの姿を映す。
「顔を見てあげてください」と言う言葉に顔伏せを外すと、まるで眠っているかのように穏やかな表情をしていた。
亡くなる直前のどこか不安げな怯えた表情はそこにはなく、元気だった頃の医者や僧侶としての威厳をすっかり取り戻したかのように落ち着いて見えた。
貞雅さんは田中さんの最後の時、DNRを破って田中さんに心マを行い、さらには心臓へ直接注射を打ったことを「田中さんに怒られちゃう・・・」と撮影クルーにこぼしていた。
そして迎えた田中さんの葬儀の日。
驚いたことに貞雅さんは剃髪をして式に臨んだ。
これまで気丈に振る舞ってきた貞雅さんだったが、田中さんの出棺の際、「とてもじゃないが火葬場には行けない」と言う。
そして霊柩車が出発する時にはお寺の中で辺りを憚らずに号泣し、数珠を持った手を震わせながらその場に泣き崩れてしまった。
田中さんを乗せた霊柩車がクラクションを長く鳴らして火葬場へ向かうのを、どのような気持ちで見送っていたのだろうか。
テレビ放送にしては珍しく、田中さんが骨だけになったところまで撮影があった。
ご夫婦でお酒が好きで、「体に悪いことをして何が悪い」とワインを飲み、あと半年は生きてみせると豪語していた田中さん。
それがやがて言葉を発せなくなり、体の自由がきかなくなって最後は骨だけになってしまった。
貞雅さんは、この病院の中で最期の会話をしながら逝く人をたくさん見てきたと言う。
田中さんとも夫婦の会話をしながら最後を迎えるのだろうなぁと思っていた・・・と、持続的鎮静で眠らされている田中さんを横目で見ながら嘆いていた。
そして医師として癌の早期発見を謳ってきたにも関わらず、あと、1年でも2年でも早く田中さんの癌を発見できていれば・・・と、これは一生悔いが残ることだと悔しがっていた。
そして番組は、
「理想の死なんて最初からなかったのではないのか?
田中さんが教えてくれたのは、『死は綺麗事ではない、思い通りには行かないということ。』」
というナレーションで締めくくられていた。
「余命1ヶ月の花嫁」を見たときのように号泣を誘う番組ではなかったが、癌で死ぬことに対する自分の考えの甘さを鋭く指摘されたような衝撃があった。