毎週火曜日の夜七時。

その時間帯のジムは、不思議なリズムで静かににぎわっている。ガチ勢というよりは、日常の中に運動を取り入れている人たちが集まるような、そんな落ち着いた空気が流れている。


彼女を初めて見かけたのは、冬が終わりかけたころだった。

肩までの髪を結び、黒のタンクトップにレギンス姿。ランニングマシンで淡々と走る姿は凛としていて、誰とも話すでもなく、誰からも話しかけられない雰囲気を持っていた。


「こんにちは、今日も同じ時間ですね」

三回目くらいに目が合った火曜日、僕は思いきって声をかけた。


彼女は一瞬驚いたような顔をしたあと、ふっと笑って、「ですね」とだけ答えた。


それが始まりだった。


僕の名前は高橋誠。小学校で教師をしている。

授業と放課後対応でヘトヘトになる日々だけれど、体力維持のために週一でジムに通っている。

彼女の名前は佐々木涼。聞けば、出版社で編集の仕事をしているらしい。


「先生って、やっぱり体力勝負ですか?」

「そうですね。子どもたち、無限に走りますから」


少しずつ、ストレッチエリアや給水機の前で立ち話をするようになった。

自然とトレーニングメニューのことや、ジムの混み具合のことなんかを話すうち、ある日、彼女がふとプロテインの話を振ってきた。


「プロテイン、何飲んでます?」

「え、あ、ゴールドスタンダードのダブルチョコレート味です」

「お、ガチめですね! 私、ずっとザバスだったんですけど飽きてきちゃって」

「わかります。あれ、最初は飲みやすいけど、途中で味の限界きますよね」

「でしょ! なんか、恋愛もそうだったりして…って、あ、ごめんなさい、変な話」


彼女は照れたように笑ったけれど、その時、僕はドキリとした。

プロテインの味に例えるなんて、ずいぶん不思議な人だ。でも、どこか自然体で、会話の間が心地いい。


それからというもの、僕たちは“プロテイン仲間”になった。


「チョコ味飽きたら、バナナがいいですよ」

「いや、僕はチョコ派です」

「固いなぁ、先生って、こだわり強いタイプ?」

「こだわりというか…うーん、習慣が好きなんです」

「毎週火曜日、ここに来るのも、ですか?」

「はい。これも、習慣のひとつです」

「…そっか」


その時の彼女の横顔が、少しだけ照れているように見えたのは気のせいじゃなかったと思う。



梅雨が近づくある火曜日、僕がジムに着くと、彼女はストレッチマットの上で、軽くタオルを顔に当てていた。


「こんばんは。あれ、今日はちょっと疲れてます?」

「うん、ちょっと…会社でいろいろあって。すみません、元気ないですね」

「プロテイン、奢りましょうか」

「えっ」

「いや、あの、新発売の抹茶味があって。試したいけど一人じゃ怖くて」

「……先生って、ずるいですね」

「え、なにがですか?」

「そういう、さりげない優しさ」


その日、僕たちはジムのラウンジで並んで抹茶味のプロテインを飲んだ。

正直、まずかった。

でも、不思議と笑えた。


「これ、もう買わないな…」

「うん。でも、今日は来てよかったかも」


彼女がぽつりとそう言って、カップのふちに指を添えた。


「ねえ、来週も、ここで待っててくれますか?」

「もちろん。習慣なので」



その火曜日から、僕たちの距離は少しずつ変わっていった。

LINEを交換し、プロテインの話から映画の話、仕事の愚痴まで、話す内容も広がっていった。

彼女は相変わらず凛としていて、でも、僕の前ではときどき力を抜いて笑ってくれる。


ある火曜日、僕は思い切って言った。


「ねえ、火曜日だけじゃなくて、土曜日も一緒にジム、どうですか?」

彼女は一瞬目を丸くして、それからゆっくりうなずいた。


「それって…習慣、増やそうってこと?」

「はい。あと、できればそのうち、“ふたりの習慣”にしたくて」


「……先生、やっぱり、ずるいです」

そう言って笑った彼女の手が、そっと僕の手に重なった。


プロテインの味はすぐ飽きるかもしれないけれど。

この人との習慣は、きっと長く続いていく気がした。