月曜日の朝は、決まって忙しい。


黒板に今日の日付を書きながら、陽菜(ひな)はため息をついた。都内の小学校で教師になって3年目。担任する3年2組は元気いっぱいで、毎日が小さな戦場みたいだ。


「先生、これ見てー! きのうね、うんてい10回できたの!」


「おー、すごいじゃん! 次は20回目指そうか!」


子どもたちの笑顔に救われながらも、ふとした瞬間に思い出すのは、あの同窓会の夜だった。



「ひっさしぶりー!」


大学時代のサークル仲間との飲み会。5年ぶりの再会に笑い声が絶えなかった。


そして、その輪の中にいたのが、遥斗(はると)だった。


「お前、全然変わんねーな。まじめな陽菜先生?」


「うるさいな、遥斗こそ……芸人、まだ続けてるの?」


「まーね。まだ芽は出てないけど。夜は舞台、昼はバイト生活よ。貧乏まっしぐら!」


彼は相変わらず、明るくて、馬鹿みたいに夢を語って、でもどこか寂しげで。


「あのさ……今度、ライブ来てくんない?」


「……うん。行くよ。」


軽い気持ちだった。でも、その夜から何かが少しずつ変わっていった。



ライブハウスは、下北沢の小さな劇場だった。照明も音響も完璧とは言えない、でも、その空間には不思議なエネルギーがあった。


遥斗は、ツッコミ担当。相方のボケにテンポよく返し、観客の笑いを誘っていた。でも、一番笑っていたのは陽菜かもしれない。


終演後、彼が楽屋から出てくると、汗だくで、でも誇らしげだった。


「どうだった?」


「……正直、すっごい面白かった。」


「マジかよ、それ聞けて今日、最高。」


その日から、彼のライブに通うようになった。応援している、というよりも、ただ会いたくて。



ある日、陽菜は職員室で、校長に呼び止められた。


「先生、この頃ちょっと疲れてるように見えるよ。大丈夫かい?」


「……大丈夫です。」


誰にも言えない。教師としての自分と、夢追い人を好きになってしまった自分。ギャップに戸惑っていた。


そんな時、遥斗から1通のLINEが届いた。


今日、話せる?


夜、近くの公園で会った。いつものように、缶コーヒーを片手にベンチに並んで座る。


「俺さ、正直に言う。最近、もうやめようかって考えてた。相方にも迷惑かけてるし、全然売れないし、家族も心配してて……」


「……」


「でも、お前が笑ってくれると、もうちょっとだけ頑張ってみようかなって思えるんだ。」


「私も、先生じゃなかったら、もっと素直に応援できたのにって、思ってた。」


「……先生だって、女の子だろ。」


遥斗の手が、そっと陽菜の手を包んだ。


「俺さ、売れたらちゃんと言おうと思ってたけど、今、言うわ。好きだ。お前が、笑ってくれるのが、俺の一番のごほうびなんだよ。」


陽菜は、少し黙ってから、小さく笑った。


「……じゃあ、私も、先生だけど、女の子として言う。好きだよ。売れるの、待ってるね。」



1年後。


遥斗のコンビ「バス停ジャンクション」は、あるネタ番組で優勝し、一気にブレイクした。


テレビの前で拍手しながら笑う陽菜は、3年4組の新しい担任になっていた。


教壇に立ちながら、ふと口元が緩む。


「……バス停ジャンクションの遥斗、面白かったですねー、先生!」


「そう? 私もちょっと好きかも。」


子どもたちに混じって、心から笑う。


「先生、今日も元気です!」


「うん、先生も!」


恋と夢は、まっすぐじゃない。つまずいたり、迷ったり。でも、笑えるならきっと大丈夫。


今日も、ほんの少しの勇気をポケットに、彼女は前を向いて歩き出す。