春の風が、校庭の隅に積もった落ち葉をそっとさらっていく。朝の光に照らされて、風景全体が一瞬、夢のような色に染まった。
新任式のあとの職員室で、私はその名前を聞いた瞬間、椅子からずり落ちそうになった。
「今日から、うちの三年三組を担当するのは——」
校長の紹介の声が、蜃気楼のように遠ざかっていく。
「花瀬絵里先生です」
まさか、と思った。けれど、彼女が一礼しながら前に進み出た瞬間、私の胸にずっとしまい込んでいた記憶が、パラパラと崩れて零れ落ちた。
六年前の教育実習——指導教員と実習生という立場で出会った、あの春の記憶。
私は当時、全てを自分の熱量で乗り切ろうとしていた。花瀬絵里は、どこか夢の中から抜け出てきたような、不思議な静けさを湛えた学生だった。熱意と緊張と、そして少しの曖昧さを携えたまま、彼女は教室という舞台に立ち続けていた。
実習の終わりに、彼女が言った言葉を私はずっと覚えている。
「いつか、同じ場所で先生として働いてみたいです。そうしたら、またお会いできますか?」
私は曖昧に笑って、その場をやり過ごした。立場が、それ以上を許さなかった。
そして今、彼女は私の隣の席に座っている。
「久しぶりですね、牧村先生」
「……花瀬先生。びっくりしたよ、本当に」
彼女は笑った。六年前と変わらない、けれど少し大人びた笑みだった。
「約束、覚えていてくれました?」
私は一瞬、答えに詰まりかけたが、頷いた。
「もちろん。でも、本当に来るとは思ってなかった」
「私、あの時からずっと思ってたんです。この学校で、先生としてもう一度牧村先生に会いたいって」
彼女の言葉は、真っ直ぐすぎて少し眩しかった。
(つづく)