2025年5月19日(月)


「今日こそ、行ってみようかな」


春の風がやわらかく頬をなでる午後。小学校教諭の早瀬さくらは、スマホの地図アプリを見つめながら小さくつぶやいた。地図の中心にあるのは、駅前に今月オープンしたばかりの猫カフェ『ねこのうたたね』。


教員という職業は、一見すると子どもと日々関わる温かな世界に思えるけれど、その実、休む暇もない。猫のように気ままに昼寝でもできたらと、さくらは何度思っただろう。そんな日常に、猫カフェはささやかな逃げ場所だった。


引き戸を開けると、ふわりと甘いバニラの香りが鼻をくすぐる。中には数匹の猫と、それを静かに見守る数人の客。その中に、ひときわ目を引く男性がいた。


白いシャツに薄手のニット。手元には、彩り豊かなモンブランと紅茶。その視線の先には、グレーのロシアンブルーが、前足をそろえて座っている。


「…スイーツ男子ってやつ?」


思わず心の中でつぶやいた。スイーツと猫。まさか、趣味がここまで被る男性がいるとは。


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翌週の土曜、さくらは再び『ねこのうたたね』を訪れた。前回と同じ席に、あの男性がまたいた。今日のケーキは、季節のいちごタルト。猫たちはすでに彼の足元に集まっている。


「猫、懐いてますね」


声をかけたのは、彼がさくらを見つめ返した、その瞬間だった。


「たぶん、甘い匂いがするからじゃないかな」


そう言って笑う彼の顔は、柔らかい午後の陽だまりのようだった。


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彼の名前は市川駿。製菓会社に勤める開発担当で、休日には街のカフェをめぐっては試作品のヒントを探しているという。


「猫がいるカフェって、実は味もけっこうちゃんとしてるんだ。癒されるし、味覚も研ぎ澄まされる感じがするんだよね」


「そんな考え方、初めて聞きました」


さくらがそう答えると、彼は少し照れたように笑った。


それから、ふたりは「偶然をよそおって」猫カフェで会うようになった。けれど、どこか自然で、気負いのない時間がそこにあった。


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ある日、駿がぽつりとこんなことを言った。


「実は…猫、ちょっと苦手だったんだ。小さいころ、爪で引っかかれてさ」


「えっ?でもあんなに仲良しそうなのに?」


「最近、慣れてきた。たぶん、さくら先生のおかげ」


「先生はやめてください。休みの日くらい、普通の女の子でいたいです」


さくらは、思わず顔を赤くした。普段、教壇では見せない表情が、頬に宿っていた。


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ふたりがはじめて、猫カフェの外で会ったのは梅雨入り前の晴れた日だった。駿が提案したのは、スイーツ専門の食べ歩きイベント。


「甘いものって、誰かと食べると、味が倍になるって思うんだ」


猫に心を許せるようになった駿。子どもとの距離感に悩むこともあるさくら。ふたりは、お互いの『居場所』をそっと探していたのかもしれない。


「いつか…一緒に暮らすなら、猫飼ってもいい?」


駿のその言葉に、さくらは小さく笑った。


「うん。でも名前は、私が決めるからね」


「いいよ。…その日が来るの、楽しみにしてる」


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それからしばらくして、さくらはふと気がついた。もう「偶然」は必要なくなっていたことに。カフェの予約はいつも駿がとってくれていて、スイーツの話題に困ることもなくなった。


だけど何よりも、猫の名前をふたりで考える未来が、ただの夢じゃないと思えるようになっていた。


猫カフェの片隅で、静かに甘く広がっていく、午後の恋。

その香りは、モンブランのようにやさしく、そして少し切なかった。