2013年、何があったかなぁ~なんて考えたら
一番先に浮かんだのがこれでした。
4月には引っ越しで北見に来て
6月には結婚式をして新婚旅行![]()
畑に行ったりプールに行ったりして毎日過ごして
夏には京都にも行ったなぁ~![]()
たくさん楽しいことがあったのにも関わらず
2013年で思い浮かんだのが楽しくないこと![]()
ず~っと隠していようと思いました。
ず~っとだまっていようと思いました。
でも、私にはできないみたいです(笑)
周りからの何気ない「子供はどうする予定
」っていう質問に
適当に答えることができなくなってきました。
どうしても、嘘をついている気がしていたし
かと言って、面と向かって本当のことを言ったら
聞いてしまって申し訳ないっていう気持ちになると思います。
周りに悲しい顔をしてほしくなかったっていうのが
一番大きい理由です。
でも、心の中のひっかかりが大きくなってきてしまって
隠していることが負担になってきました。
なので、書いてしまいたいと思います![]()
長いですが、興味のある方だけ読んでください![]()
10月の初めに妊娠がわかりました。
でも、超初期の頃からずっと体調が悪くてお腹が痛くて
何も食べることができずに一気に体重が落ちました。
彼は仕事でいない時間が多いし
たまたま札幌に行く機会があったので
彼と一緒に札幌に行って、私だけそのまま札幌に残りました。
その後もずっとお腹が治らず、目が覚めている間は
ずっとお腹が痛い状態が続きました。
彼が札幌にいる間に出血もあり救急にも行きました。
(その後は常に出血していました。)
そもそもがVIP待遇だったこともあり
状況によって、週に1回または3日に1回病院に行きました。
この娘になにかあっては・・・みたいな空気の中
常に周りが超慎重になって診療をしていました。
家では、とにかく絶対安静。
ほぼ1カ月間、まったく外に出ず、立ち歩くことも
あまり許されず、予防投与の薬も増えていきました。
正直、毎日、もう解放してください。って思っていました。
結果、10月の終わりに胎嚢が育たず
中に卵黄嚢も胎芽も見えず、流産の診断が付きました。
(エンプティーザックというものです)
それも、本当は主治医が判断をもう少し待つと言っていたのを
父に言って、もうしんどいから処置して欲しいと頼み
数日早めてもらいました。
自然流産を待てば、いつ出血がくるかわからないし
大量出血をおこすかもしれないリスクもあるということで
手術を選択し、日帰りで手術をすることにしました。
10月30日、朝から病院へ行き
痛い処置をいろいろされた後
静脈麻酔下で手術、その後19時くらいには家に帰りました。
流産というと、悲しくて、悲しくて仕方ないと思っていました。
でも、私は最初から状態が悪すぎて
術後は解放感でいっぱいでした。
流産の診断がつく前は、体がしんどすぎて
彼の前だけで泣いていましたが
術後は普通に歩いたり、普通にごはんが食べられることが
うれしすぎて、へらへら笑っていました(笑)
でも、この日の夜から状態が悪化しました。
腹痛で横になることができなくなり、次の日は
起きることができず、ずっと眠ったままでした。
手術から2日後、病院に行ったのですが
主治医が緊急対応の全くできない人で・・・
全てが後手後手に回ったあげく、原因不明。
(検査に不十分なところもあったらしいです)
そこから5日間入院しました。
流産手術の術後腹痛で最も疑われるのが
子宮穿孔という、器具で子宮壁を突き破り・・・
というものなのですが、私の場合は違いました。
(MRIで違うという判断になりました。)
おそらく、手術中に器具で圧迫などされたことによる
炎症。子宮周囲炎(おそらく腸や膀胱の方まで)
実は、手術時間が普通よりも長かったのです。
(普通30分で帰ってくるのに1時間かかったらしいです)
というのも、主治医の先生が取り残しがあっては・・・
とびくびくしてしまったらしく、必要以上に
器具でこすったのではないかというのが推測です。
推測でしかありませんが。
とにかく、その入院期間が余計でした。
精神的にも体力的にも消耗しました。
前日、眠ったままで絶飲食状態だったので
血管が全く見えなくなってしまい、やっと入った点滴が
血管壁にあたっているのか、ずっと痛い・・・
術前に何度か失敗された点滴の跡が痛い。
お腹が痛い。
変な体勢で寝続けたせいで、腰がものすごく痛い。
とにかく、ずっとボルタレン座薬を入れ続けないと
眠れない、食べれない状態でした。
しかも、原因がわからないから
毎日、毎日、とにかく検査、検査、検査。
抗生剤の点滴、点滴、点滴。
それでもわからない。なおらない。
次第に、医師たちが混乱しはじめ
私が言ったこともきちんと伝わらず
流産手術後の患者に言ってはいけないようなことを
平気で言うようになりました。
私は、訴える気もないし、責める気もないのに
勝手に保身に回って、自分たちは絶対に悪くない
そんなようなことばかり言うようになりました。
直接的には言わないものの
子供をつくろうとしたのが悪いみたいなことも言われました。
最低だと思います。
父は病院側につきました。
(昔から父は父である自覚が乏しいので。)
母は絶対に父に逆らいません。
誰も私の味方がいませんでした。
私のことを一番に考えてくれる人、
正しい知識をもって、根拠をもって、
私の体が良くなることだけを考えてくれる人がいませんでした。
そんな中、彼がひとりだけ、ずっと私の味方でした。
彼だけが全てにおいて、根拠を示し方針を考えてくれました。
術前も、術後も、
札幌にいた私に会いに、北見から車で4時間半かけて
何度も何度もきてくれました。
医師に必要最低限の正しい検査をしてもらうために
専門の医師の知識に負けないためにと
寝る時間を削って産婦人科の論文を読んだり
ガイドラインを読んだり、とにかく知識をつけてくれました。
そのおかげで、必要以上の検査をされなくなり
必要以上の投薬もなくなったので、
入院後に下がった肝機能も回復しました。
入院5日目になって、腹痛が少しおさまりました。
主治医は異常に心配してしまい、まだ退院はさせられない
と言ったのですが、上の先生に確認して退院の許可をもらいました。
その次の日には外来へ行き、上の先生の許可で
そのままバスで北見へ帰りました。
とても長く、痛く、苦しい1カ月間でした。
できることなら絶対に経験したくありませんでした。
病気になったから、それを治すためにがんばる。
そういうのとは違う、複雑な感情でした。
私は何に向かって、何をがんばれば良いのだろうか・・・
そればかり考えていました。
でも、考えても考えても答えなんてでないんだと思います。
なってしまったものは仕方ない。
実際、10人に1人は流産する確率を持っているのだし
なってしまった状況をやり過ごすことしかできない
それが流産だと思います。
すべてが終わったあとで、今後どうするか
それはその人その人によると思うし
すぐに前向きになる人もいれば、
ずっと落ち込む人もいると思います。
私は、考えすぎる傾向にあるので
とにかく1カ月間、いろんなことを考えすぎて
毎日夢でうなされました。
でも、1カ月くらいたったときに
さすがに彼も寝れず疲れてきて大喧嘩になって(笑)
というか、勝手に私が暴れたのですが・・・
その時に、たまたま本で見た
「考えても考えなくても結果は同じ」
という言葉で何かがふっきれました。
あ~考えても無駄だな。
そう思ったら、1カ月間無駄にエネルギーを費やした自分が
すごく情けないなぁ~と思いました。
子供に関しては、できるかもしれないし、
できないかもしれない
次もまた流産かもしれないし、
どちらかに原因があるかもしれない
とにかく何があっても仕方ない
子供がすごく欲しい彼が、
子供ができなくても仕方ないし、
私に苦しい思いをさせてまで欲しいなんて思わない
二人でも楽しく生きていけるよと言ってくれました。
彼は32歳で、周りはほとんど結婚して子供がいます。
私よりも彼の方が、年賀状で子供の写真がついてたり
子供に関わる機会も多いです。
その彼が、そこまで言ってくれるだけでいいです![]()
また流産になったら同じような痛い思いをするだろうけど
そうなったら仕方ないと思って耐えることにします![]()
年末だし、流産したっていう話題は、いろいろな場で
話に挙げられてしまうかもしれないけど・・・
私はそれでも良いと思っています。
むしろ、もし私の友達で将来
同じ経験をすることがいる人がいたら
その時は私が相談相手になります![]()
私は、周りには相談できる人がいませんでした。
でも、ブログで知り合ったお姉さん、
まりんさん
が
私の話をたくさん、たくさん、丁寧に聞いてくれました![]()
同じ経験をした人に話を聞いてもらえることが
本当に心強くて、私の支えになりました。
だから、何かあったら私のことを
思い出してくれればなぁと思います![]()
ということで![]()
なぜかクリスマスに、こんな話を書いてしまいました~(笑)
読んでくださった方、ありがとうございました![]()
私は元気なので![]()
心配しないでください( ´艸`)![]()






































