手のないママのところにやってきた宝物。。。 -41ページ目

手のないママのところにやってきた宝物。。。

両腕のない母のところにやってきた✨天使✨

でも、、我が子も
先天性四肢欠損。
先天性右足内反足。
先天性左足脛骨欠損。
という手と足に障害を持ってやってきた!

障害者が障害児を育てる。人生と子育ての記録。

九州は桜があちこちで
満開を迎えようとしています🌸
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やっぱり、春が季節の中で一番好き。
お別れの寂しさと。これから始まるワクワクと。。。
実家に帰ると田舎の時間でいろんな想いが溢れます。

前の記事で娘に聞かれて鮮明に思い出した事。

それは、私の記憶の中での初めて母に手がない事を聞いた時の記憶。

記憶の中では洗濯を干していた母に
「何で私だけ手がないの?」と言ったこと。
多分、4・5歳くらい?だったのかな?と
その時の母が片手にハンガーを持ったまま
私にかけ寄り抱きしめながら
「ごめんね。ごめんね。」
と言われた記憶。

すっかり忘れていました、、、
でも、この間の出来事でフラッシュバックかのように鮮明に思い出した。
そして、その時に思ったのは
「あーもう聞いたらいけないな」
と思った記憶でした。

今思うと、子供心なりに親を気遣ったり
泣かせたくなかったりしたのかな?と、、、。

親が泣くのは全く悪くない。
ただ娘にはある程度大きくなるまで
何で?何で?と言ってもらいたいから。
私は中学2年生の時に言えない気持ちを親に爆破しちゃったから。
誰かのせいにして生きないと生きていけないくらい辛い時があったから。
でも、それで親を傷つけて人を傷つける痛みを知った。
娘にもきっとそんな日が来る。
いや、自分の現実を受け入れるためにも
人を傷つける痛みを知るためにも来て欲しい。
誰のせいにも出来ない確かな答えがないからこそ
ぶつけるところが必要なんじゃないかな。

何が正解なのかはわからないけど
私が体験して来たことが娘に当てはまるわけではなくて
娘は娘の人生を歩く。
ことに変わりはないということ。
そこは大切に。自分と重ねすぎないのが大切。
↑私はたまに自分を重ねすぎてこれを忘れる(°_°)

私、昔は人前で絶対に泣かない子でした。
人に弱みを見せたくない。ただそんな意地を張って。
でも今思うと、泣く。って感情表現の一部で
弱いとかじゃない。
今じゃ、涙腺ゆるゆるで困るくらい
すぐに感情移入してしまいます(笑)

でも泣けるって本当は幸せですね。
娘にも感情豊かに育ってほしいと願っています♡


ここ、1週間ほど急に暖かくなり
庭から見える山にチラホラと山桜が咲き始めました。
花粉症が辛いこの季節ですが
春。ってこんなにワクワクしたかな?というくらい
今年はなんだか自然の景色ををみて思います。

この、気持ちのいい春もあっという間に終わるのかな、、、、
先月、娘を保育園に送る車の中で
思い立ったかのように急に言いだしました。

「ママ。こっちのあんよバイバイするの?」
と言いだしました。
昨年の10月頃に手術をするかもという事で
数回はバイバイするよ。と教えた事がありましたが
先に伸びたのでもう、何ヶ月もその事を言うことはありませんでした。
でも、思い出したかのように急に。
え。っと一瞬言葉を失いました。

そして、
「ママもあんよバイバイするの?」
「パパも?ばーばも?じぃじも?」と娘が聞いてきました。

みんな、足がなくなると思っている娘。
一瞬で涙が溢れそうになったけど、グッと堪え
「ううん。〇〇だけあんよバイバイなんだ」
と伝えると「???」な様子。
そのあと直ぐに、
「あ〜バイバイしてアンパンあんよになるのかぁ〜」
と自分で言い聞かせるように言う娘。
(アンパンあんよとは、今の歩く装具のこと)

でもまた、すぐにさっきとお同じように質問ぜめ。
「もっと、お友達と遊んだり走ったりするためにバイバイするんだよ。」と言うと不思議そうにその日は保育園に行きました。

送った帰りに、運転しながら堪えた涙がボロボロ溢れ

今の足でも装具をつければ座ったりは出来ないし
いちいち、必要な時に付けたり外したりしないといけないけど歩けないわけではない。
離断する必要はないんじゃないか。。。と
頭では手術の必要性をわかっているのに
心がついていかない。

必ず足で歩く必要があるの?
車椅子や松葉杖。なんでもいいんじゃないか。
正直心がポキっとなりました。。。

頭では分かっています。
実際に、車椅子や杖などは娘の手じゃ難しい。
手術をして今の装具より不自由なく生活を出来るなら
そっちの方がいい。
娘にとっても、今年が記憶のめんでタイムリミットかなと思っています。
私たち親は、死ぬまで娘の足があった事を忘れることはないけれど
大人になるまでは、娘の記憶に残らなかったり少しでも薄れていってくれた方がいい。

そんな、行ったり戻ったり。と運転しながら頭を駆け巡りました。

「足を失いたくないから」
ただそれだけの理由で手術をやめる。
ことは、全く考えてはいないけど
やっぱり、どこか迷ったり悲しくなったりする日もあります。
娘が大きくなるにつれて
きっともっと、もっと、もっと
答える事が難しい質問がくるのかなと思うと
もっと強くなろうと思った朝でした。

私のブログは、きっとおもしろくない。
ほぼ、重たかったり、悩んだり、悲しかったり、嬉しかったり を記録している内容だと思います。
でも、娘が大きくなった時
この、ブログを読み返して今の悩みを笑い話にできる日が来るといいな。と思い続けています。

2018年3月4日
今日、初めて娘が1人で外(スーパー)で歩きました。
今までは手を必ず繋いでちょっとグラグラなりながら
絶対に手は離さなかったのに。
最近、家では少しずつ距離を伸ばして
歩けるようにはなっていたけど、、、
今日は自ら
「お手手つながない。」

と言った次の瞬間には自分で好きな方向に
ニコニコしながら歩き回る。
手がない私は歩き始めた娘を掴むことができない。
それをわかってか?ギリギリまで来て
また方向を変えて歩き出す(笑)

娘が自分の足で歩いて見た初めての世界は
きっとキラキラしてたんじゃないかな?と
表情を見て思いました。
子供用の買い物カゴを持って
おやつを自分で選んでカゴに入れる。

娘はあと少しで3歳になります。
成長段階で行けば歩くのが遅すぎるくらい。
毎週2回リハビリにも通って早く歩けるようにと。
つい最近までいつ1人で歩けるのか不安だった日々。
それがあっという間に数日で1人で歩く楽しみを
覚えて歩き始める。
周りと比べて焦ってた自分に反省。

いつも、私の不安を娘は一瞬で晴らしてくれる。

でも、実は1人で歩けるようになったら
確実に小さいあんよとさよなら。すると言うこと。

歩けて嬉しいのに。
ちょっと、心は締め付けられる。
歩けるのに諦めないといけない足。
今。じゃなくて 未来。のために
諦める事を頭でわかってるのに
心がついていけない。
そんな日々を過ごしています。

今日の喜びと心の締め付けられた事を
何十年後かに笑い話になればいいな✨
そのために、また次の目標にむかって
頑張って行きたいと思った日でした。