小説 「加油!Celina!」 -32ページ目

小説 「加油!Celina!」

ブログの説明を入力します。
日本人ビジネスマンが、中国人留学生と知り合い、全く違う環境・国籍・年齢を超えて、少しずつお互いを理解していく。互いの文化の違いを学びつつ、友達の輪を広げて、成長していく姿を日記風に描いていきます。

   続いて中村公園の方へ移動することにした。地図を持っている私が先頭。元気にペダルをグイグイ漕ぐロシアダーシャが2番手。女性小蒙は、最後という順番で進む。枇杷島駅を右折して、地下鉄地下鉄の中村公園駅を目指して西進する。・・・しばらく走ると、高さ24mの赤い大鳥居鳥居が見えてきた。豊国神社の鳥居である。・・・ここから北へ500mほど参道を進む。・・・この辺りで豊臣秀吉豊臣秀吉が生まれたそうで、今は鳥居神社や公園が整備されている。公園の敷地内には、少年時代、秀吉“日吉丸“、と呼ばれていた頃の腕白な秀吉の像と、それを取り囲むようにして、加藤清正、福島正則などの・・・後の戦国武将の男の子男の子男の子少年時代の像がある。戦国オタクのロシアダーシャは、興味津々・・・「ここで、お百姓さんに生まれた秀吉が、キラキラ太閤まで大出世したんだ。」、「ロシア(のほほん)大名ノ7割ハ 愛知県・・・コノ辺ノ出身者・一族ラシイ!?」、「本当はてなマークまあ家康が天下統一してから、結婚。白無垢。政略結婚も多かったからね。皆親戚になった?」・・・ダーシャはラブラブ大興奮である。神社そのものは、それほど大きくはなく・・・むしろ質素な感じだった。これも何かの縁。3人そろって参拝をした。手洗い 加藤清正の生誕地に立てられたという、妙行寺もすぐ近くに立つので見学した。池や竹竹林を持つ公園内をゆっくり巡った。すぐ近くに中村図書館があった。「あはは・・・疲れたから・・・あそこで休憩にしようビックリマーク」、「女性賛成で~す。」、さすがに図書館内には、豊臣秀吉秀吉や清正関係のコーナーがあって、彼らの関係の書物や雑誌が多い。3人それぞれ思い思いの書物を本book☆本手にとって、しばし読書タイムとなった。・・・ 刀



 「女性なんか・・・お腹が空いてきちゃったね。」、「実はちびまるこちゃんCELINAが、この辺りに来るのなら、美味しいカレー屋さんがあるから、行ってみたらはてなマークって、メモをもらってあるんだ。」、「ロシア(のほほん)ソコへ出陣イタソウ!」、「姐姐が美味しいってことは・・・女性辛いカレーなんじゃ??」、「たぶんね。(笑)まあ。行ってみようビックリマーク」・・・また再び隊列を組んで、自転車を走らせた・・・太閤通り6丁目を右上矢印右折・・・Dマート?あそこを右上矢印右折かなはてなマーク・・・

 その店は、“NEVERLAND日本”、住宅街の中にひっそり立っていて、メモ書いてもらった地図を見ても、危うく通り過ぎるところだった。「びっくりここだよ!?」、「うっ‥うーんえ~はてなマーク普通の家じゃないの?ここがレストラン?」、「小サナプレート 発見。」、「注間違いない。ここだ。入ってみよう!!」・・・ドア



 古い日本民家をレストランに改装して使っているみたいだった。古風なデザインの割れる窓や欄間もあってクラシック。畳の部屋もあったり、阿修羅金色の仏像キラキラ輝いてあったりする。・・・それを見て、ロシアダーシャは、祈る畏敬の念を感じたようで、祈り手をあわせていた。・・・奥が厨房になっていて、割れる硝子越しにちょっとコックさんが見える。・・・スキンヘッドの奥さんが、出窓側の明るい席に案内してくれた。テーブルには、お花ブーケ2花花花がたくさん飾られていて、ヒマワリ花好きなキキ金さんがいれば、喜んで何の花かはてなマーク解説してくれただろうにと思ったほどだ。壁にはワインの銘柄のラベルが所狭しと貼られている。外国人が多く訪ずれるのかはてなマーク記念写真もたくさん貼られている。ニヤリ奥さんは、ネパールアジア旅行がドキドキ好きなようで、ネパール各地で撮った写真■■も多い。・・・続く

    清洲城城を後にして、来た道をリサイクル引き返して南下する。右手に大きなサイロを持つ工場工場が見えてきた。看板を見ると、“キリンビール名古屋工場”、とある。「びっくりちょっと・・・ビール試飲できるみたいだよビックリマークここに寄り道しない。」、「女性ビール飲むんですか!?」,「ソフトドリンクもあるみたいだよ。」、「ロシア喉カワイタ チョウドイイびっくり」・・・受付に申し込んだら、試飲ができる旗見学ツアーは、30分ごとになっているようだった。ただし我々のような自転車で来訪した人には、アルコール飲料は、だめっ!提供できない由。飲み会♪ノンアルコールビール、ジュースsodaキリンレモン、ジュースorange小岩井農場のジュースなら、FREE無料で試飲できるとのことだった。



  「以前、工場青島ビール工場を見学した時は、50元だったけど・・・ここはFREE無料なんだビックリマーク」、「ロシア(のほほん)サスガ キリンビールびっくり・・・オウ。信長ハ ビール工房作ッテイタソウデス。」、「女性きゃは~! 大リーガーのイチローイチローWBCのサイン入りポスターがある~。野球! 9年連続200本安打! 女性」、「彼は、愛知工業大学名電高校出身、西春日井郡が地元なんだ。」、「ふ~ん。それでここにも来たんだね。」・・・相変わらずハイテンションなロシア二人である。しばし休憩室で待って切り株で休憩お便所・・・10人ほどの参加者と共に集合した。旗案内係のおねえさん女の子の引率で、エスカレーターで、アップ一気に3階まで上がった。そこは大きなポッドが並ぶ部屋。麦小麦やホップなどの原料から、塗料きいろ麦芽液になる工程が説明される。・・・まだアルコール発酵していない原液∀∀∀の試飲があった。飲み会♪甘くて苦い味がした。「女性あまりおいしくな~い!」、「ロシア(のほほん)ビールノ ベビーダ。」・・・ビールの歴史が説明される。古代ソポタミア、ツタンカーメン古代エジプト時代から愛飲されていたそうだ。・・・

  

  麒麟麦酒の創業は、1885年。赤レンガ横浜で始まったのだそうだ。レトロなポスター■■■が展示してあった。多田北烏という大正・昭和初期の画伯の作品だそうだが、なかなか美術的な価値があるなびっくりと思った。こういった販売努力も実り、現在ビールは、日本日本人が、最も飲むアルコール飲料となった。・・・麒麟のラベルの中に、“キ・リ・ン”の3文字の隠し文字があることを学ぶ。・・・旗30分ほどの説明が終わり、2階のホールへ案内された。ここで試飲が出来るのだ。案内のお姉さんが、美味しいビールビールの注ぎ方を教えてくれた。泡を切らさないように、3回に分けてあせる注ぐのだそうだ。・・・そんあ知識が得られるのも、ビール工場ならではだ。自転車サイクリングで喉が渇いたので、ノンアルコールビール飲み会♪でも十分美味しい。1人2杯ビールビールまで飲めて、おつまみも付いている。・・・「女性やっぱ。寄り道して正解だったね!」、「ロシア(のほほん)ウマ~イ!・・・∀∀∀ 自転車 サイクリングは午後も続いた・・・



ロシアダーシャのパー発案で、この連休は侍信長の居城であった城清洲城へ、自転車 サイクリングしようということになった。たぶん往復20Km以上となるので、運動が苦手なキキ金さんはキティちゃん(>_<)パス。晴れ朝の早起きが、苦手な眠いちびまるこちゃんCELINAも(Θ_Θ)・・・パス。私と女性小蒙が参加することになった。・・・晴れ朝8時に集合した。「オ早ヨ~ ロシアゴザイマス。」、「パーおはようビックリマークびっくり張り切ってるね。」、「女性小蒙~見参!」、「オ~! 同志 ロシア(のほほん)イザ!清洲へ出陣ジャ~びっくり」、「じぃ~エイエイオ~!」・・・朝から, テンションが上げ上げ高い人たちである。(笑)・・・3台の自転車を自転車連ねて、栄・伏見・名駅と、名古屋の中心街を西へ横切り・・・そこから電車JR線に沿って、右上矢印北上した。枇杷島駅のあたりで、ちょっと迷ってしまったが、川庄内川の橋をつり橋渡って清洲の町へ入った。・・・


 清洲の町は、東海道の要所として栄え、名古屋より多く、6万もの人が住む大都市だったそうな。1600年徳川家康徳川家康がメラメラ、関が原の合戦ΨΨΨに勝った後、名古屋城を築き、それと共に都市機能を、名古屋移転したんだそうだ。そのため今の清洲野町は、田んぼ田園風景が広がり、当時の面影はほとんどない。・・・「結構走ったけど・・・まだかなはてなマーク」、「ガススタJOMOガソリンスタンド 矢印ロシア聞イテミル。」・・・マリオおじさんが指指差しながら、答てくれた。「真っ直ぐ進んで、2つめの信号を、左上矢印左に折れると, 目見えるよ。」、「スパシーバ・・・ロシア(のほほん)ア~!? ロシアロシア語デ アリガトウッテ 言ッチャタびっくり」、「女性もうちょっとだね。加油!」・・・seiキョトンとしているおじさんマリオを置いて、パー再出発。・・・ほどなく“東海の巨鎮”、と称せられた天守閣城が見えてきた・・・びっくり


 城の周囲は、公園公園となっているようで、自転車 駐輪場に自転車を止め、日本庭園などを散策した。ロシアダーシャは早速、バシャバシャ城の写真写真を撮っている。「オーロシア(のほほん)感激デ~スチョキ」、「赤い橋がるよ。渡ってみようビックリマーク」、「あ~。女性川に魚うお座いうお座が泳いでいる! カメ 亀もいた!」、「ドコドコ?」、「女性あ・そ・こ!」、「イタ!イタ!」・・・入場券を購入して、天守閣へ上。上ってみることにした。1階には、旧城の瓦や器などの出土品が展示してあった。2階は、かぶと鎧・兜・刀。このあたりでは、こうした武具を今も再現して製作して、お祭りで着るのだそうだ。・・・3階には、蝋人形の展示があった。侍信長が刀桶狭間の合戦(1560年)に出陣する際に、“敦盛”、を舞った場面が、再現してあった。“人生五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻が如く成り・・・”、ロシアダーシャは、大興奮である。音声ガイドをヘッドフォンずっと聞き込んでいる。・・・舞い終わり、ここ清洲城城を朝4時に馬で出立した信あせる長は、南下して鳥居熱田神宮にぱちぱちお参りし、戦勝を祈願。2千人の兵力を整え、2万五千人の大軍勢の今川義元の本陣を一気に急襲。刀桶狭間(現在の豊明市)にて見事にドンッ打ち破った・・・日本日本史の上では、非常に重要な、華々しい戦いΨΨΨである。以後、侍信長は急速に勢力を拡大し、天下統一を進めていく。・・・女性小蒙は、トコトコ、上。最上階へ上がっている。・・・「女性きゃは~。遠くまで目見えるよ!」、そこに上がると、濃尾平野が一望できた。ここから信長が、天下布武の思いを起こしたのか・・・と思うと、びっくり感慨である。・・・ロシアダーシャのような歴史マニアには、キラキラたまらない場所の1つなんであろう。・・・「若き信長が、どんな思いで、この景色を目見たんだろうね」、「想像スルト ロシア(のほほん)楽シイ!」、「桶狭間の戦いの戦術を練り、その後、美濃攻略の戦略を考えたんだろうね。」、いろいろ想像して議論した。・・・続く