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小説 「加油!Celina!」

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日本人ビジネスマンが、中国人留学生と知り合い、全く違う環境・国籍・年齢を超えて、少しずつお互いを理解していく。互いの文化の違いを学びつつ、友達の輪を広げて、成長していく姿を日記風に描いていきます。

    女性小蒙から 栄の松坂屋で、二胡のイベントがあるという情報を入手して、自転車自転車で遠出してきた。14時からということなので、まず一緒にランチランチをとっておくことにした。「何にしますか?」、「ぐぅガッツり食べるはてなマークそれともお洒落な店がいいはてなマーク」、「お任せしま~す。」、どこにしようかはてなマーク迷ったが、以前から 行って見たかった、“LASSIOTTE DE SHIBATA”、を選んでみた。覚王山のちびまるこちゃんCELINAお気に入りのケーキ屋の、レストラン部門である。 もちろん女性小蒙も初めて・・・テレビ塔の近くまで歩いて、二人とも緊張してドアドアを開けて、中に入った。


 中に入ると、店内は、ほとんど私レディ女若い女性客。こういう店は美味しいに違いない。黒を貴重としたテーブルや椅子・・・落ち着いた大人向けの雰囲気。壁際には外国のワインワインワインボトル酒ワインが装飾品として飾られている。案内された席についてメニューを見て、¥1980円のスペシャルランチを選んだ。・・・まず白服のあたしお姉さんが、オニオンスープが運ばれてきた。トロトロに煮込んであって、旨い。びっくり・・・ほどなく淡路島産のタマネギたまねぎを使ったパンΩフォカッチャΘを、黒服の石ちゃん外人のスタッフが・・・運んできた。おかわりは自由とのこと。・・・女性小蒙は、あっという間に、2個平らげておかわりをパー頼んだ。・・・

 続いて白い楕円形()のお皿に盛られたパスタパスタが運ばれる。シェル型のパスタとエビ海老などの魚介類のトマトソース。ニンニクが利いていて、フォカッチャにソースを絡めて食べるとこれも美味。・・・食べ終わると、スタッフがすぐお皿を下げてくれてくれる。・・・小蒙はまたパンのおかわりを頼んだ。・・・次は肉料理。今日は豚肉の煮込み料理だ。骨付きであるが、フォークフォークで簡単に崩れるぐらい、身はトロトロになっている。また太りそうだが・・・脂身の甘さと旨みを満喫する。・・・ いよいよ宝石のようなケーキのデザート。本来はケーキチョコレートケーキケーキケーキ屋さんだけに、ここが最大のお楽しみだ。今日はアップルパイに、牛角アイスアイスクリームが乗り、りんごの乾燥スライスが載っている。飲み物は・・・私はカプチーノ。小蒙は女性紅茶とした。・・・至福のひとときを味わった・・・



 13時半になったので、松坂屋の1階・オルガン広場に移動した。このイベントは日本人二胡演奏家の野沢香苗さん着物の3枚目のアルバム、 「カナリア」、の発売プローモーションである。・・・1番前の席をすばやく確保した。・・・演奏の後には、サイン会があり、アルバム購入者には、サインもしてくれるということで、びっくり私は新アルバムをサッと購入した。ポスターも付いていて、」チョキラッキー。さっそく封を切って、「カナリアが歌うように、私も二胡で唄いたい。」・・・と書いてある解説を読んでいると、ほどなく着物香苗さんが登場した

   坂本龍馬侍は、高知の城城下町に住む郷土の次男として生まれ、青年時代江戸江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び、刀剣士として知られているが、文久元年(1861年)、いち早く武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加した。後、脱藩して勝海舟に師事して、D51(テンダ)煙西洋文明の優秀さに触れ、単純な攘夷は無理と悟り、帆船海軍建設を計画し又、長州(山口県)の桂小五郎(木戸孝允)、薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて慶応2年(1866年)薩長両藩の同盟協約をらぶ成功させ長州に押し寄せた幕府軍(徳川方)を撃破した。 これを機会に討幕運動が高まったが、龍馬はこの薩長同盟の勢力に土佐藩を加え、これを背景とする王政復古を考え、土佐藩の参政、後藤象二郎を説き、国会議事堂(荒れ)立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した。山内容堂(15代藩主)は、後藤のパー提案を受け入れて慶応3年(1867年)10月3日将軍武士慶喜に大政奉還を建白した。 武士将軍も時勢を察し、10月14日に政権返上を朝廷に上奏した。侍龍馬は、これを喜び新政府創立に走る奔走したが、11月15日京都河原町近江屋で、幕府方の刺客に襲われ、同志中岡慎太郎とともに刀血凶刃に倒れた。・・・生前死ぬときは前のめりに死にたい・・と言っていたそうだが、その通りだったのかもしれない。33歳・・・侍龍馬は、亀山社中、海援隊(商社と帆船海軍みたいなもの)の隊長でもある。日本日本で始めて、株式会社を作った男ともされる。・・・


 そしてこの寺田屋は、その後妻となる、おりょうさんと知り合った、所縁の場所なのである。1866年3月8日、伏見薩摩藩の定宿であった、寺田屋の2階に宿泊していた侍龍馬を、伏見奉行所の捕り方が囲んだ。お風呂**風呂に入っていた、寺田屋の養女、oiranおりょうさんはその気配に気づき、裸のまま階段を駆け上がって、危機を知らせたそうな。竜馬は襲撃されて、左手親指を血負傷するものの、銃を発砲して奮戦、屋根伝いに逃げて、一命を取り留めたのだそうだ。・・・それが縁となり、oiranおりょうさんと結婚し、 薩摩の国へ、日本日本で始めて帆船新婚旅行に行っている。・・・そんなことを思い出しながら、寺田屋を見学するのは、日本歴史好きにはたまらないものである。庭に龍馬の句脾があった。

世の中の人は なんとも言はば言へ 我なすことは 我のみぞしる”・・・


 龍馬とおりょうさんoiranを偲んで、一杯やりたくなった。西に向かってカップル歩いて、“神聖“という、これも伏見の蔵元が経営する、“鳥せい”、というちょうちん焼き鳥屋へ入ってみた。まだ日が暮れていないのに、賑わっている。さすがに枡酒は薫り高く、すっきりした味だった。ちびまるこちゃんCelinaは飲めないが、水は伏見桃山の地下水の湧き水を冷やして供せられる。「焼き鳥美味しいね。よく日本酒お酒に合うんだ。」、「本当に柔らかくて美味しいですね宮里藍オフィシャルブログPowered by Ameba-20090618094142.gif」、「きっと龍馬も、この初音みく組み合わせを、伏見で楽しんだに違いない。」・・・「でも・・・この万願寺とうがらし青唐辛子青唐辛子青唐辛子、っていう唐辛子は、ぜんぜん辛くないですね。もっと七味唐辛子七味唐辛子七味唐辛子七味唐辛子をいっぱい血かけちゃおうッと宮里藍オフィシャルブログPowered by Ameba-20090618094142.gif(笑)」・・・ちびまるこちゃんCelinaに、oiranおりゅうさんの幻を求めるのは無理なようだった。・・・ニコニコ

 ほろ酔いかげんで、後香宮を見学後、京阪京阪電車に乗って、名古屋への帰路に着いた。今度チャンスがあれば、龍馬が眠る京都京都東山の霊山護国神社神社にも、行って見たいと思った。

  京阪電車 の中書島駅から、宇治川の支流の濠川沿いのあたりまで、ちびまるこちゃんCelinaと一緒にカップル歩いてきた。この辺りは、京都へ物資を屋台運搬する手段が、舟だった頃の港町。再現された十石舟や三十石舟が小舟川に浮かんでいた。もっとも今は、小舟観光客用に使われているものなんだが、風情を感じる景色ではある。柳並木の川向こうには、白壁土蔵・黒塀の酒倉が続く。写真好きな彼女は、さっそく何枚かはてなマーク構図を変えながらデジカメで撮っている。「マップ地図によると、橋橋の向こうに月桂冠大倉記念館があるそうだよ。そうだ!行ってみようビックリマーク」、「ニコニコ私、お酒は飲めないけど・・・ドキドキ興味はあります宮里藍オフィシャルブログPowered by Ameba-20090618094142.gif」・・・



 伏見は、昔は「伏水」とも書いたぐらいで、良質の伏流水が湧き出るところだったそうで、それを使った酒造りが盛んだった土地柄なのだ。月桂冠は、1637年創業の老舗である。昔はお酒酒造りが行われた建物に入ると、お酒のDASH!香りがする。大人一人¥300円払って入館するのだが、蒼龍吟醸酒のきき酒∀もできるし、記念のわんかっぷワンカップもそうだ!1本もらえる。右順路に従って、酒を仕込む工程を見学した。「ニコニコお庭には、伏流水があせる湧き出る井戸がありますよ宮里藍オフィシャルブログPowered by Ameba-20090618094142.gif」、「本当だ。びっくり飲んでみようビックリマーク」・・・キスマーク口に含むと、柔らかい印象があった。鉄分が少なく、ミネラルを含み、酒酒造りに適しているのだそうだ。・・・





 記念館を出て、伏見の町をカップル散策した。私は3種類のお酒∀∀∀を試飲して、ご機嫌である。酒倉をお土産屋に改装した店なども覗いてみる。いかにも波打ち際京都らしい小物や、お土産が並び、ちびまるこちゃんCelinaは興味深深の様子。私は、酒酒饅頭10円饅頭10円饅頭10円饅頭に強く魅かれたのだが・・・6個入りなので、食べきれない・・・と泣く泣く断念する。・・・そこからしばらく歩く歩いて、寺田屋に到着した。・・・・


 寺田屋は、私が尊敬する幕末の志士、坂本龍馬(1835年~1867年)ゆかりの船宿。 再建されたものらしいが、当時の風情を残している。学校高校時代に目読んだ、司馬遼太郎の、“竜馬が行く”、は私にびっくり大きな影響を与えた本で・・・一介の浪人ながら、アップ志高く維新の回天を行った龍馬に感動した目私は、男は青雲の志を持って、生きねばならん・・・と、その後の人生に大きな影響を与えられたのだ。大学時代には、彼の故郷土佐を訪問し、海桂浜にある太平洋を望む龍馬像に目会いに行ったぐらいなのだ。・・・