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小説 「加油!Celina!」

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日本人ビジネスマンが、中国人留学生と知り合い、全く違う環境・国籍・年齢を超えて、少しずつお互いを理解していく。互いの文化の違いを学びつつ、友達の輪を広げて、成長していく姿を日記風に描いていきます。

   今日は東区の白壁町から撞木町あたりをトコトコ散策する計画で、ちびまるこちゃんCelinaと 金さんと自転車を自転車連ねてやって来た。この辺は昔は、侍武家屋敷だったところで、明治・大正期は名古屋の実業家たち・・・ソニーの創業者の盛田さんも、ここに住んでいたそうだ。第二次大戦の空襲でも奇跡的に焼け残ったエリアなのだそうで、長屋門や白壁・黒壁の残るお屋敷町だ。昔の洋館や日本家屋は、あるいは料亭となり、あるいはレストランになり、あるいは名古屋名古屋市の文化財として、市民に開放され保存されていたりする。

以下のような建物を、順に見学した。・・・




 ①名古屋市政資料館・・・元は裁判所として使用された建物。ブロック赤いレンガと宝石白い大理石造りで、正面入口を入ると、そこはお菓子の家ヨーロッパの何処かの美術館にでも来た様な感じ・・・階段中央階段の柄の良い大理石の手摺、正面と吹き抜けの天井には、ステンドグラスがはまり、ネオバロック様式というのだそうだ。ここでは結婚式もおこなわれるようで、ちょうど階段階段のところで、美しい花嫁記念写真を撮っていた。 「ちびまるこちゃん見て!見て!モデルさんとっても綺麗」、「憧れちゃいます。私もあんなドレス着てみたい。」・・・ 金さんが、乙女チックにうっとりした眼差しで見つめていた。・・・2階・3階と、当時の会議室や法廷が保存されていた。



 ②主税町(ちからまち)教会・・・名古屋市最古の教会。鐘楼(復元)は100年前に建てられたフランス製とのこと。中に入ると街中の喧騒を感じさせない、厳かな静けさである。「あちらの庭に、聖母マリア様の像があるよ。」、「ルルドの奇跡のマリア様ですって。」・・・ちびまるこちゃん 二人とも、なにやら長~~い、お祈りをしていた。




 ③豊田佐助邸・・・和洋折衷の建築物。石の門柱を潜ると白いタイルの洋館があり、ここが、自動織機の発明で有名な豊田佐吉の弟、佐助の邸宅である。その当時の¥大富豪だったのであろう、どんな生活だったのだろうか 洋風を取り入れた、ハイカラな生活は、ご自慢だったのだろうな~とか、いろいろ想像してみた。

 ④文化の道二葉館(旧川上貞奴邸日本)・・・創建当時は、文化のみちエリアの北端、東二葉町にあり、2000坪を超える敷地に建てられた和洋折衷の建物は、その斬新さとキラキラ豪華さから、「二葉御殿」、と呼ばれた、オレンジ色の建物。・・・続く

  ニコニコ シャガール好きドキドキちびまるこちゃんCelinaの為に、絵ハガキを買うことにした。・・・またポール・デルヴォー(1897~1994年)の作品、半月星空夜の通り(散歩する女たちと学者)“、があった。デルヴォーは、シュルレアリスムを代表するベルギー王国ベルギーの画家として知られているが、実際にはそれらの運動から、やや距離をおいて活動したそうだ。この作品は、彼の画風がアート絵筆確立した円熟期のもの。ここには、ベルギー裸婦、オウムガイアンモナイトに見入る学者紳士、線路のない旧式の汽車ケー100や彫像など、デルヴォー作品にはお馴染みのモティーフが、非合理的に配置され、神秘的な光とあいまって、この絵に幻想的で、叫び不可思議な雰囲気を与えている。・・・その他、ジョアン・ミロなど近代西洋美術の作品を鑑賞した。

  

   昼食は、“一蘭”、という博多とんこつラーメンの有名店に行ってみた。何でも大阪の道頓堀とか、名古屋の栄にも支店がある、日本全国展開している名店のようだ。ムード2-1店の中に入ると、びっくりした。カウンターは、1つ1つの席が半個室に仕切りによって、ムード2-2完全に仕切られていて、デラックス隣の人が食べているのが、見れないようになっている。また前も赤い大きな暖簾のれんがかかっており、従業員の姿は、見えないようになっている。食べる事に集中できるように、こういうレイアウトになっているそうだ。よほど味にも自信があるのかはてなマークメニューは、とんこつラーメン1種類。好みによって、チャーシューチャーシュー・など、トッピングができる。机に備え付けられている請求の紙紙に、麺の固さ、スープのこってり度、秘伝のエバラ 焼肉のたれたれといわれる辛い調味料の量、ねぎはわけぎ・小口切り青ねぎはてなマークねぎ白ねぎはてなマークなどの好みを、マークして書き込み、机の前方に置くと、わずかに開いている隙間から、従業員の手が請求の紙グッド!伸びて回収され、好みに合った調理が始まる・・・そんなシステムのようであった。半熟卵をトッピングして、注文してみた。・・・
  当然しばらく時間がかかるが・・・期待が高まる。「おまたせしました。冷麺バリバリ(麺固め)、こってりです。」、隙間から、DASH!湯気をあげるとんこつラーメンのスープどんぶりと、が入ったお皿が出てきたゆで卵はお客がそれぞれ、殻を剥いて、食べる直前にトッピングするようだ。丁寧に剥いてから、ラーメンスープの中に、あせるドボンと投入した。箸で崩して、れんげれんげに、スープとともに掬って、冷麺口に入れると・・・まいう!真ん中に赤い調味料(唐辛子唐辛子など、30種類の調味料がハバネロ・完熟ブレンドしいてあるそうだ)があり、これをラーメンスープに箸混ぜると、辛い味付けに変化する。・・・辛くなったが、まいうーとても美味しいスープになった。1滴残らず飲み干す。麺好きのウマイ金さんに是非、教えてあげようと思う。さすがに本場の博多ラーメンは、mf*美味しい・・・と感激した。・・・


  喫茶店会議の後は、ステーションビルで、夕飯に、大松の鍋箸もつ鍋“、を食べた。白くプリプリしたもつと、コラーゲンたっぷりのちょい辛いスープ。これに地元の焼酎芋焼酎のロックが、じつにピッタリとくる。・・・仕事の疲れも癒されて、幸せな酔い心地のひととき。こちらも博多名物で、「石ちゃんまいう!」このように面接ビジネスマンにとって、地方への出張の楽しみは、名所旧跡をめぐったり、土地の美味しいものをキスマーク食べたりすることなのである。・・・ビジネスバッグ

   出張で九州博多に来ている。喫茶店会議は, 午後1時からということで、その前に機会があれば、訪問したいと思っていた、sei福岡市美術館を目見学してみたい・・・ということで、腕時計早朝6時半、名古屋発の新幹線に乗って、博多までやって来た。 到着したのは、10時30分・・・眠いウツら、ウツらしながら約4時間である。早速、  地下鉄に乗って、移動した。・・・城博多城があった、大濠公園に着いた。今は天守閣はなく、城址お濠が残っているのみではある。博多城は、初代福岡藩主黒田長政が、関が原の戦いで、1番の軍功をUP上げたとされた直後の、慶長6年(1601年)から7年がかりで城築城した城で、別名「舞鶴城」。平山城で、天守閣はなく、大中小の各天守台と47の櫓があった。現在は、多聞櫓(重要文化財)、潮見櫓、祈念櫓、寺母里太兵衛邸長屋門、名島門などが保存され、大天守台は、オペラグラス展望台になっている。


  現在の大濠公園は、池大きな池の中にいくつかの浮島を配し、それぞれが観月橋・松月橋などでつながれ、中国中国杭州の寺西湖の景観にも似た風景となっている。ニルスには多くの水鳥が白鳥浮かんでいるが、海海が近いので白いウミネコなどが多い。ちょっと写真を撮っていると、近くの中学生であろうか、ランニングスカートランニングスカート集団でランニングする一段が通り過ぎた。1周2Kmほどのジョギングコースが整備されているようだ。私も走ってみたくなった。・・・Running




   戦国オタクのロシア(のほほん)ダーシャから聞いた、黒田官兵衛の話を思い出した。彼は長政の父。豊臣秀吉豊臣秀吉に参謀として仕えて、名を上げた名将とのことであった。次のような逸話が残っているとのこと。・・・豊臣秀吉秀吉が家臣に、「わしに代わって、次に天下を治めるのは・・・・誰だ」、と尋ねた。家臣たちは、徳川家康徳川家康や前田利家の名前を挙げたが、秀吉は、黒田官兵衛(孝高)を挙げ、「武士官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも、天下を取るだろう」、と言った。石垣【ネウロ】側近は、「官兵衛殿は、10万石程度の大名に過ぎませんが」、と聞き返したところ、豊臣秀吉秀吉は、「お前たちは、やつの本当の!力量をわかっていない。やつに古米100万石を与えたら、とたんに天下を刀奪ってしまう」、と言った。これを伝え聞いた官兵衛は、身の危険を感じて、武士44歳の若さで家督を長政に譲り、隠居を申し出たという。・・・禁止



 公園の奥に、sei福岡市美術館があった。公共施設のため入場料は、わずか200円。ここの収蔵品には、マルク・シャガールの、“空とぶアトラージュトナカイそり”、がある。にひひシャガールは、亡命したアメリカアメリカで、ハーケンクロイツナチスの故郷へのHELLOWEEN侵攻を知り、最愛の妻先生ベラを失って、失意のため彼は、しばし絵筆絵筆を持てなかったという。終戦直後(1945年)に描かれたこの作品は、カゼシャガールが汗絶望の淵からの再起を期した一作だそうだ。一組の母子マリアを乗せて、田舎・・・小さな村の上空を翔けるトナカイそりそり(アトラージュ)に、彼は、戦火に苦しんだ故郷の人々や亡き妻への鎮魂の意と、再び訪れたベルリン平和への希望を込め、自らの再出発の記念としたとのこと。・・・祝日