第114章 д 覚王山 揚輝荘 ① | 小説 「加油!Celina!」

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日本人ビジネスマンが、中国人留学生と知り合い、全く違う環境・国籍・年齢を超えて、少しずつお互いを理解していく。互いの文化の違いを学びつつ、友達の輪を広げて、成長していく姿を日記風に描いていきます。

    覚王山には、揚輝荘という歴史的な建築物がある。京都京都を旅行したキキ金さんは、こうした日本日本の古い建築物や、日本日本庭園にますます興味を持ったということで、「ぜひ見学したいsei キティ×笑2」、とのこと。この土曜日に一緒に訪ずれてみた。日泰寺寺の参道を上がっていき、寺大きな寺門のところを東側・・・右へ折れて、少し下ったところにある。校門を入ると簡素な受付があり、パンフレットを受け取る。・・・ ドア



  揚輝荘は元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店 」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民 の別荘として、約1万坪(35,000平方メートル)の森を森拓いて築かれた。1918年 大正 7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮 を参考にした池池泉回遊式庭園 が造られるなどして、最終的に完成した昭和 12-14年頃には、移築・新築された30数棟があったというが、先の大戦で大半の建物はメラメラ焼失したそうだ。主要な部分として保存された庭園と建物が、平成18年度末に、名古屋名古屋市に寄贈されたそうだ。平成20年5月に、5棟の建物(聴松閣、揚輝荘座敷、伴華楼、三賞亭、白雲橋)が、名古屋名古屋市指定有形文化財にそうだ!指定されていると記されている。・・・現在一般開放されているのは、北側の6500平米のみ。周辺はマンション高級マンションなどが立ち並ぶ、閑静な住宅街である。・・・大正から昭和初期にかけては、皇族 華族 、政治家や著名人の他に、sao☆金髪外国人も多数訪れ、国内からの学生寄宿生に加えて台湾留学生の受け入れも行っていた。その中には、かつて台湾中華民国行政院長を務めた、汪兆銘(1833~1944年 法政法政大学留学中に、孫文の革命思想にふれ、政治家となった人物)もいたそうで、F-2空襲時には、地下の謎のトンネルにトンネル避難し九死に一生を得たとか・・建物内には、王様インド人が描いた、インドヒンドゥー教の神様の絵が壁、壁に描かれているそうだ。・・・

  茶色の洋館・伴華楼が見える。市松模様■□■の柱もある、お洒落なバンガロー風の建物だった。右手には日本風の庭園が木陰広がっている。その向こうには、京都京都の修学院離宮の千歳橋を模した、白雲橋がかかっている。「わあ~seiまるで京都の日本日本庭園みたいですね。」、「びっくりこんなに近くに・・・名園があったんだ!」・・・キキ金さんは、ファインダーを覗きながら、カメラ何枚も写真を撮っている。・・・メタセコイア草メタセコイア(新緑)


  「あちらには、神社神社神社赤い鳥居が並んでますね。」、「ドアパンフレットによると、豊彦稲荷とあるね。」・・・三章亭は、尾張徳川家から譲り受けた、茶室付きの和室だそうだ。この茶室から池池を、眺めたのだろうと想像する。「あっ!カメ亀が泳いでますよsei」、「びっくり本当だ。意外と早く泳ぐねビックリマーク」・・・島南の島2つある島には、小さな橋がかけられている。なかなか風情があるが・・・か。蚊shokopon蚊が多くて困る。「キキ金さん。か。蚊にあちこち指されちゃったよ。そろそろ退散しようよ。」、「はい。でももっとこの辺り・・・覚王山を歩く散策1散策してみませんか?」・・・続く