「総力戦」に欠かせないのは自給自足体制であることは前回触れました。今も昔も日本は資源の確保に苦労する国です。(世界有数の産金国だった豊臣時代を除く。)

その上、明治維新後の殖産興業と富国強兵政策によって、食の自給自足体制は崩壊していました。

 

江戸期を通じて緩やかなカーブを描いていた人口増加が、明治維新以降急激に増え始めます。それに追い打ちをかけるように、白米への憧れから一人当たりの米の消費量が異常に増えます。これだけでも当時の貧弱な農業生産力では追いつかないというのに、更に殖産興業の波が押し寄せるのです。

 

産業革命を経た国の特徴として、工業が発達すると貧富の差が拡大し、農村部から工場のある都市部への人口移動が起きます。これでますます工業の生産力は拡大するのですが、今と違って、機械化されていない農業は典型的な労働力集約型産業です。つまり、働き手が都市部に出て行ってしまうことで農業生産力がガタ落ちになるのです。

実際、明治日本は国内の農業生産力だけでは国民全員が食べていけない国になっていました。

そのため、明治の早い段階からハワイへの期間限定移民などが始まったのです。これは、戦国時代風に言えば「口減らし」です。外に出て行けば(他領に合戦に出て行けば)、その分、食料の消費が抑えられるのです。

そして、この流れはとどまるところを知らず、やがては南北アメリカ本土へと広がっていき、特に北米では深刻な人種差別問題を引き起こすようにまでになります。

 

この状況は大正・昭和になっても変わらず、日本国内だけでの自給自足は無理として、朝鮮半島や台湾も含めた経済圏の中での自給自足を考えるようになります。

こうした食糧自給の閉塞感を突破する期待を寄せたのが、満洲だったのです。

 

更に、満鉄の大まかな調査では、満洲には鉄鉱石やその他鉱物資源が豊富に眠るとされていました。これと満洲での農業開拓が進めば、日本の自給体制が整うとされたのです。ところがふたを開けてみると、日本が期待したほどの優良な鉱物資源は乏しく、工業を興すにも水資源が不足しているのでエネルギー(電気)の供給にも難ありという状況でした。

 

とは言え、国防上、簡単にこの地から引き上げるわけにもいきません。そこで、北支を含めた経済圏構想が持ち上がったのです。

これが、後の日華事変(日中戦争)につながっていきます。

 

一方、日本は北ばかりにこだわっていたわけではありません。

1920年代ころから、鉄鉱石や石油の輸入先を東南アジアに求めるようになっていました。今風に言えば、供給源の多角化といったところでしょうか。

1930年代の世界最大の産油国は、今から見れば意外に見えますが実はアメリカです。アメリカの石油産出量は当時の世界の産出量の6割以上を占めていたと言いますから、下手をすると今のアラブ諸国以上の存在感です。

そこで、石油も東南アジア地域からの調達を目指して、日本は補助金を出すなどしてあちこちで試掘を始めています。

更には、重化学工業には欠かせないアルミニュウムも、東南アジア地域からのボーキサイト輸入が始まっています。

 

ところが、です。

先ほど、供給源の多角化といいました。石油や鉄などをアメリカ一国頼らずに、より日本に近い東南アジアに求めるというのは、一見理に適っています。

しかし、当時の東南アジアは、一部を除いてオランダ、イギリス、フランス、アメリカ等による植民地です。

つまり、日本が必要とする資源は、結局、アメリカやヨーロッパ各国に頼らざるを得ないのが現状でした。

 

とは言え、特に石油は近代の産業にも戦争にも欠かせません。

あちこち試掘して回って、何とか成果を見たのが樺太だけでしたから、日本としては石油だけは何としてでも確保せねば立ち行かなくなります。

そこで、1937年(昭和12年)から、当時の外務省主導で東南アジア地域を含めた経済圏の確立を模索し始めます。

具体的には、日本、満洲、北支地域に東南アジアを加えた日満支南洋経済ブロック圏を構築していこうというのです。

 

しかし、これだけでは無理があります。当時の東南アジアはほぼ米英蘭仏などの植民地です。この場合、経済圏は形成するけれども、米英蘭仏などとの自由貿易も両立せねばならないといった二律背反に悩まされることになるのです。

 

それが証拠に、日華事変(日中戦争)が始まると、米英などからの輸入が激増しています。特にアメリカからの輸入額は全体の半分を占める程でしたから、日本がアメリカ抜きの日満支だけでやっていくのはかなり無理があると言えます。

 

その一方で、アメリカには中立法があり、交戦国には資源供給や金融、保険といった経済分野での制限を科すことができます。

日本が日中戦争を宣戦布告のない、(日華)事変であると言い続けるのは、このアメリカの中立法発動を恐れたからですが、これを発動されると困るのは交戦国の中国も同じです。

そして、アメリカの経済は双方との貿易によってそれなりに潤いますから、アメリカもこの中立法の発動には慎重にならざるを得ません。

 

当時の日本はこうした危うい綱渡りをしていたのですが、その綱を握っているのはほかでもない、中国大陸から日本を追い落としたいアメリカだというのは、日本にとっては不幸でした。