“自分の判断や決定が誤りだった(つまり自分が愚かだった)ことを認めたくないために、合理化により真実から目をそむけている可能性に留意せよ。”
「同時に二つの心理的に相容れない認知(考え、信念)を抱いた時に生じる緊張状態」のことを認知的不協和といいます。
音楽の不協和音と同じく、不協和状態は不快な緊張を生むため、私たちは次のような方法で緊張を低減させようとします。
・自分が選んだもののポジティブな面を強調し、ネガティブな面を無視する
・自分が選ばなかった方(捨てた方)のネガティブな面を強調し、ポジティブな面は無視する
例えば、他にも選択肢があり、そちらを選んでいた方が良かったかも知れないとき(今住んでる物件よりあの物件の方が良かったかも…、今の会社よりあの会社の方が良かったかも…、今の彼よりやっぱりあの人の方が良かったかも…)、上記の方法を使って認知的不協和を解消しようとします
深刻な事例としては、ある誤まったイデオロギーを集団で信じてしまい、それを否定するエビデンスがあったにも関わらず、認知的不協和を低減させるためエビデンスの方を否定してしまい、結果誤まった方向に突き進んでしまったという歴史上の例もあります。
また、たった数日間のセミナーに参加するため100万円を払ってしまったとしましょう。私は正しい判断が出来るはずなのに、もしかしたら間違った選択をしてしまったかも知れない…。このような葛藤を解消するために、このセミナーは価値がある、講師はすごい人だ、というように考えようとするのも認知的不協和の解消の例です。
失敗を繰り返さないためにも、認知的不協和の解消に陥って真実から目をそらしていないか注意するようにしたいですね
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