1999年製作、アラン・パーカー監督作品。

 

 1930年代初頭のアメリカというと、大恐慌時代の最中で、そこら中に失業者があふれ食うものも食わずに死んでいく人たちもかなりの数いたという状況下にあった。

   その中で、アイルランドから移住してきたアンジェラとその夫が結婚し、授かった息子たちとの生活を描いたのがこの映画である。

 

 物語の最初は、すでに3人の子供がおり、さらに双子が生まれたところから始まる。この激動の時代の中で、彼らも例外ではなく、夫は失業中で、職を探し当ててもろくに続くことなく、失業保険などの微々たる収入を切り詰めて、なんとか生活しているという状況だった。 

 

 この何とか微々たる収入を切り詰めてというところが、どのシーンを見ても一貫していて、いつも収入がなく、不快な顔をしているアンジェラと、そうした生活をさせている自分の不甲斐なさに身の置き所もないような感じで、しかし子供たちに対して、親としての威厳も見せつけなければならないジレンマから、ついつい酒におぼれてしまう夫とのコントラストを描きながら映画が展開していくのだ。

 

 もっともアンジェラが不快になるのにはわけがある。働かない夫の存在に加え、時代の波とともに彼らに降りかかる不幸があまりにも悲惨なためである。

   彼らが移住先であるアメリカからアイルランドに戻ったきっかけとなったのは、イギリスとの関係が微妙な時期だった。独立したとはいえ、南アイルランドはイギリス連邦の統治下にあり、1850年代のじゃがいも飢饉でさらに深化した反英感情のしこりが色濃く残っている時代だった。

 

 アイルランドの宗教はカトリックで、プロテスタントなど新派はイギリスと同義語だった。その中で、アンジェラの夫は北アイルランドの首都であるベルファストの出身であり、なおかつ彼自身の宗教への信仰心は薄いが、家的にプロテスタントを信仰する家庭であり、すなわち親英派なのである。

 

 彼を好きになったアメリカでは深刻でなかった事柄が、アイルランドに戻ることによって、出口のない袋小路になってしまうというのが、40を過ぎたものには身につまされる思いで、子供たちが生まれた状況で、家族から脱出できるわけでもなく、社会を変える力のない自分の無力さの中で

堕落する夫に自分を重ねてしまうのである。

 

    仕事しても1周間と持たず、子供の養育費をねん出するために親からの仕送りを求めるもののすぐさま酒に手を出す。子供の葬式にも関わらず、集めた金で買った酒を、棺桶を机代わりにして友人と酒盛りしている。

 

 そうした運命に対し、夫の社会や自分に対する諦念や批判に対し、アンジェラは黙々とそれを引き受けている。躍動感はないが、モノトーンの

肝っ玉母ちゃんであり、そういう意味では、やはり主役は彼女なのである。

 

 もともと母親、母性というのはそういうものかもしれない。どんな運命であれ、子供を授かり、それを育てていくというのが母性の基本であるならば、それを育てる環境や時勢がどうであろうが育てなければならないのであり、金持ちであろうが不幸であろうが、目の前の事実を受け入れ進んでいく他はない。

 

 もしかすると、この映画のテーマは母性というところにあるのかも知れない。

 

 それにしてもまあ次から次へと不幸なことを考えるよなと思いながらも、エピソードの数々はその母性を引き立たせる戦略として、より悲惨な運命に彼女らを巻き込むことも監督の頭にあったのではなかろうか。

 

 その後夫はロンドンに出稼ぎに行くといって、ほかの家庭が1週間に一度の割合で仕送りをしていたのに対し、一度は仕送りをよこし家族を喜ばせたものの、次はその半分、そして仕送りが途絶えるという最悪の循環を繰り返し。

 いったん帰郷するものの、結局は家をでてしまい、そのまま行方知らずになってしまう。その戻ってきた時のロンドンからのおみやげというのも、チョコレートであり、ほんとにほろ苦い思い出になってしまったのだった。

 

 この夫役、ロバートカーライルが演じていて、やせぎすで少年の面影をのこしたかれの風貌が甘えたで、女好きで、しかし生活人としてはだらしなく、でも子供たちにほら話に近いお話をして喜んでいるという役柄がぴったりなのである。

 酒場に行って、子供に迎えに来られるというシーンも情けないと同時に家庭の中に身の置き所のない父親の姿を見事に体現していて、男であることからついつい共感してしまうのだ。

 

 しかし女が強いと思うのは、夫が出て行って、生活に困ったとき、親戚の男の家に身を寄せるがその時、男の要請に応じて、なぐさみの相手となっていることだ。

 子供たちは青年期を迎えつつあり、そうした母親の行為に嫌悪感をあらわにしているにもかかわらず、それを相手にせず、男のもとに通う。同じ屋根の下の、上と下の間の出来事であり、プライバシーなんかはどこ吹く風のお話なのである。

 

 また脇役でアンジェラの姉を演ずる女性がなかなかの存在なのである。

 ふだんはアンジェラの次々と子供をはらむだらしなさ(自分に子供がいないことに対しての嫉妬もありながら)に対し冷たい態度を取り続けるのだが、アンジェラの息子が社会人になり郵便局に勤める団になって、社会人としての服装がないことを気遣って、つっけんどんな調子を崩さないながら、服屋や靴屋に連れて行き、それ相応の格好をさせるというエピソードはついつい涙を誘う。

 

 後半、子供たちが成長していく様子は、貧乏ながらもしっかりと育った感じが漂っており、ついつい母親目線で画面を見つめてしまうのは、アンジェラの視線と同化してしまったのかも知れない。