内容・所感
ロレッタというのはアメリカに実在したカントリー歌手である。現役であるが彼女のピークが60年後半から70年代ということで、ビル ボードのトップチャートに40曲近くランクインし、時代背景もあると思うが、カントリーらしからぬテーマベトナム戦争や政治に関する詞もあるとのことを後で知った。
カントリーというのはほとんど聞かない僕がなんとなくなつかしい思いがしたのは、トムウェイツやニールヤング、ボブディランにもその曲調や雰囲気を見てとることができるような何かが含まれているからではないかと思うからである。
映画自体はロレッタが14歳で炭坑夫の娘として生活しているところから始まりドゥーリトルと結婚し、歌手としてスターに上り詰め、一度の挫折を味わって、復活するところまでが描かれている。ヒット曲がまだ数曲しかかかっていなかったことから60年代半ばから末くらいまでが描かれているのではなかろうか。14歳からラストまでロレッタはシシースぺイエクによって演じられている。
この人の出演した映画はあまり知らないが「ロンリーハート」という映画で3人姉妹の末娘の役で出ていて、少し間が抜けたくらいにおっとしした役柄が印象的だったのを覚えている。
アメリカ自体しらない僕であるから、その昔の、彼女が育ったケンタッキーの雰囲気などわかろうはずがなく、古めかしいラジオからながれる曲がウェスタンカントリー風であったり、蒸気機関車が走っていたりする姿を見て、1920~30年代くらいの話なのかと思っていた。彼女の年齢からすると実際は1950年かと思われる。
ケンタッキーの片田舎であってみればそうした生活風景が日常的であり、特に情報などの通信手段に乏しい時代であることからくる、都会と田舎の格差のありかたというのは、僕の想像を超えていたのかもしれない。
彼女の夫となるドゥーリトルという人物は、軍隊上がりで、時代の流れを体験しており、ジープを乗り回して、好き放題しているような人物として描かれている。これはおなじみにトミー・リー・ジョーンズが演じている。
周囲からは暴れん坊とのキャラクター付がなされているものの、それは、ケンタッキーの片田舎の状況と、彼の持つ時代性が見事に対比されていて、そこに定住している人たちはそれを恐れていたためかと思う。
しかし、そうした彼の時代性を見越してか、14歳のロレッタは人生の展望を彼に予見することになり、そのことが好きという感情をもたらしたのではないか。
それにしても、結婚シーンはそうした対比を象徴的に表していた。
ほとんど誰も彼らの結婚式には出席してなかった。
ロレッタの父親が逡巡しながら、娘にさみしい思いをさせたくない親心で結婚式に姿を見せるのである。
しかし、当初、結婚の条件であった彼女に暴力を振るわない、遠くにいかないという点について、見事に反故にしてしまっている。
暴力については、当初の行き違いはあったものの、遠くに行かないという点については、ドゥーがより収入の多い職業を求め、違う州に移ってしまうのである。
アメリカというのはフロンティアスピリットというのか、常に一攫千金を目指して新天地を求める国民性というものがあるのであろうが、違う州に引っ越しが決まった時、父親は約束を反故にされたにもかかわらず、怒ることさえせずに{お前ともこれが最後になるかもしれない}というようなことを娘に別れの言葉として伝え、淡々と彼女を見送るシーンには妙な感動と違和感を覚えた。
そして紆余曲折、高揚と挫折を繰り返しながら、成功への階段を駆け上っていったのは、やはりアメリカンドリームといえると思う。
ただ、間にベトナム戦争があり、50年から60年初頭のアメリカのような明るさではなく、少なからず時代の陰を身にまとった形ではあると思うけれども。