「ドラマを作る!」とドラマの作り方すら知らない男がほざいてからはや3ヶ月。
とうとうドラマの公開までに何とか漕ぎ着いた。
とにかく最初はやってみる。
上手くいかなくてもとにかく進める。
そんなやり方で制作をしていたらいつの間にか僕の周りには協力者だらけになっていた。
監督、カメラマン、出演者の他にも場所から出演者から当日のお弁当まで手配してくれた方、脚本家さん、撮影の裏方で協力してくれたスタッフ、主題歌を提供してくれた歌手や、サントラ音源を提供してくれた方、まだまだ沢山いる。
いつの間にか制作に携わってくれる方がこんなにも増えて、いよいよ僕の奇行や妄想が現実味を帯びてきた。
そして気づけばそれなりの責任とプレッシャーを背負っていた。
「これ、外したらやばくね?」
「再生数取れなかったらどうする?」
そんなことばかりを考えてまだ投稿もしてない継続もしてないドラマ制作のこの先のことを勝手に不安視したりもした。
でも大丈夫。
その為にインフルエンサーを使ったんだ。
SNSでドラマを投稿するなら再生回数が全て。
それなら出演者はSNSでフォロワーを抱えているインフルエンサーを積極的に起用していく。
そうすればインフルエンサーのフォロワーやファンたちが見てくれる。
そんな考えからのキャスティングをした。
『インフルエンサーを起用すれば再生回数は間違いなく取れる。あとは質を上げていけば良いだけ。』
その構想は投稿後、根本から崩れ落ちた。
全く伸びない。
TikTokの再生回数は2000〜3000回で止まった。
昔ノリで投稿したおふざけ動画の方が何倍も伸びてる。
盛大に空振った瞬間だった。
ハッシュタグも問題ない。
投稿時間も問題ない。
インフルエンサーたちも宣伝してくれてる。
それでもこの再生回数。
訳がわからなかった。
この世に生み出した作品を多くの人に届けるまでが制作であり、生み出した者の役目なのに、届かない理由すらわからなかった。
大海原や宇宙で遭難するくらいの何か大きな世界に1人取り残された気分だった。
TikTokで地上波に近いクオリティの演出と画の綺麗さを持つドラマを投稿すれば話題性が生まれるというのは何か間違えていたのだろうか。
少なくともSNSには何かコツやポイントのようなものがある気がした。
そもそも地上波ドラマには放送枠があるし、映画やNetflixにも枠がある。
さらに「映画を観たい」と思った視聴者しか訪れないわけだから、そこである程度ターゲットも絞られる。
「映画を観たい」という需要と「映画を制作している」という供給がマッチする(ジャンルの好みによってマッチしない可能性は一旦置いておいて)。
「映画を見たい」と思ってる視聴者がお笑いを観に映画館に行かないでしょ?
だからここでは映画を作っていればそれでOK。
見事、僕たちは僕たちのターゲットに対して作品を届けることが出来る。
それに、映画やドラマを観るつもりの視聴者が「私、5分しか時間取れません。」っていうのもおかしいよね?
だからそもそも地上波ドラマや映画、Netflixに集まる視聴者は長期滞在することを前提にある程度の時間を確保している。
だから1時間でも2時間でも滞在する。
でもTikTokはどうだ?
ターゲットはどこになる?
だんだんわかってきた。
TikTok上において、僕たちは必ずしも僕たちのターゲットに対して作品を届けることが出来ているわけではない。
需要と供給が必ずしもマッチしているとは限らないということ。
僕たちが相手にしなちゃいけないのは『ドラマを観る予定の無い人』だ。
そんな視聴者を相手にいきなりドラマを見せてるわけだから、そりゃ伸びないわけだ。
僕たちがこだわらなきゃいけないのは動画の始まり方なのかもしれない。
「これはドラマですよ〜」という始め方ではなくて「これは面白い動画ですよ〜」という始め方。
それでいて質の高さは保つ。
ドラマを観るつもりのある人には見てもらえるし、ドラマを観るつもりの無い人にはドラマを観るつもりにさせないといけない。
であれば、ドラマを観るつもりの無い人には面白い動画として引きつければ良い。
ターゲットを『ドラマに興味がある人』から『面白い動画に興味のある人』に変えて、ターゲットとなる幅を一気に広げるということをしなければならない。
よし、次はこれでやってみよう。
ちょっと待てよ、これをやる為にはどこから変えればいい?
キャスティング?演出?
違う。脚本だ。
よし、僕が脚本を書こう。
さぁ、次からは後先考えないバカが脚本を書き始めるぞ。
もちろん、脚本なんて一度も書いたことが無い。
でもやるしかない。
どうなるかな?
mamochi.film
代表 奥田
【ドラマ作品はここから!】
【ドラマの裏側はここから!】