甲府へ戻る際、どうしても父が自宅を見ておきたい、との事で亘理(わたり)郡浜吉田(はまよしだ)にある自宅に立ち寄ることになりました。ここは、仙台の家とは別に、父が母と余生を過ごす為に建築した家です。
途中、ガソリンスタンドはすべて大行列、でも並んでいるのはいい方で、車を走らせるにつれ、「閉店」「ガソリンなし」の看板が目につきました。緊急車両以外、給油させてくれないという状況でした。
浜吉田に到着し、唖然としました。それはまるで見たことのない場所でした。
あったはずの道路がなく、あったはずの郵便局や、あったはずのコンビニがありませんでした。周りは泥と、倒れて水で濡れた木だけ。津波が、ここまで来ていたのです。この辺りは「津波はここまで来ない」と言われていた場所でした。でも、それはそう言われていただけ。現実は、津波がきたのです。近くには「常磐線」という線路があります。線路の上に、どこかのおうちの畳や冷蔵庫が泥まみれで投げ出されています。車は家の玄関に入り込んで、入口を塞いでいます。窓ガラスもすべて割れ、すべては瓦礫の山となっていました。
すべてが、壊れていました。すべてを失っていました。
道は、木が倒れて封鎖してますので、車で自宅近くまで行けません。父と私は、近所に車を止めて、歩いて家に近づきました。道なき道を、倒れている木の板の上を歩き、両手をついて登りながら、家の方角目指して歩きました。家の方角でさえも、よくわからない状態でした。途中、近所の方に会い「あー!よかった!無事だったのね!」と嬉しい再会がありました。近所の方々は、道路の道を少しでも歩くことができるように自分たちで木を避けたりしてくれていました。行政が助けにくるのは、いつになるかわからないからです。「ここにはいない方がいい。我々も逃げるから」と言っていました。そして、家を見つけました。ここでも奇跡が起こりました。自宅を建てる際に、宮城県沖地震の経験をしていた父が、土台にこだわり、頑丈に作っていたこと、ウッドデッキの上に家を建てたことで、土壌から段差があったことで、家の中に浸水していなかったのです。これは奇跡でした。父は泣いていました。本当に、奇跡だと、私も思いました。
そして「また元気で会おうね!頑張ろうね!」と近所の方々にお互いに告げあい、自宅をあとにしました。
そしてそこから宇都宮へ戻り一泊。何日かぶりのお風呂と温かい食事をとることができ、甲府へ無事に戻ることができました。
甲府に戻って、私と両親は驚きました。今まで見てきた景色とまるで違うからです。
駅前では普通にお店が開いていて、電気もついています。穏やかないつもの街並みでした。「同じ日本なのに、こんなに違うのか・・」とても複雑な気持ちでした。
私達親子は無事に生き延びることができました。
しかし、まだまだ何ひとつ問題は解決していません。
被災された方は大勢います。
私も、現地に友人や遠くにいて会えない親戚を残して甲府へ戻ったことに、罪悪感を感じ続けています。
私がもっと何かできたら、それこそ大きなトラックで何百人もの人を連れていくことができたら、収容施設を持っていたら、それこそ自家用ヘリで助けにいけたら・・
色々考えます。
私の母方の祖父祖母は、福島県の南相馬市にいます。よく映像でも流れる地区です。
海の近くで、「だめだろう」と半ばあきらめていましたが、ここでも奇跡は起き、親族は無事でした。避難所生活をしています。しかし、叔父叔母夫婦が、まだ見つかっていません。
連絡の取れない友人もいます。家と両親を波にのまれた、若林区に住んでいた友人もいます。まだまた多くの方々が苦しんでいます。何ひとつ、解決されていないのです。
そこで皆さんにお願いがあります。
今、私たちが何をすべきなのか、それをもう一度考えて下さい。
皆さんの周りの方、お客様の中で、連絡が取れない親族や友人がいる方はいませんか?
既契約確認されていますか?東北地方は遠いから、いないだろうとは思わないでください。甲府に戻り、両親を共立病院へ連れて行った際に診てくださった先生の娘さんは、宮城県に住んでいらっしゃいました。
ご両親が一度に亡くなってしまった場合の必要保障額をきちんとお預かりしていますか?これは現実に起こります。
現に、私の友人は、両親を、家を、一気に失い、帰る場所も、仕事もないのです。
甲府も地震があり、怖い方もいるかもしれません。だけど、我々しか、きちんとした保障を提供できる人はいないんです。私たちは、その仕事ができる。今、できるんです。
「やる仕事がある」「できる仕事がある」というのは、とても恵まれていることです。
できる仕事が何もない、そんな方が、私の両親含め、今、日本には沢山いるんです。
一日数時間の停電も我慢してください。私から見たら、電気がつくだけで幸せに感じます。温かい食事があり、お風呂に入り、お布団で寝れる。皆さん、当たり前だと思いますか?
違います。これは恵まれている環境なのです。当たり前だと思っていた人々が、今、当たり前じゃなくなっているんです。
必要以上の買占めもしないでください。救援物資が送れなくなります。
必要以上に買い占めることによって、お店やコンビニで物がなくなります。
それを補うために、物を搬送するトラックが走り、ガソリンを使います。
そうすることにより、緊急車両のガソリンが不足します。病人や被災者を運ぶことができません。そして、物が何もない地域に届けるものもなくなるのです。
今、友人の父が、仙台の病院で入院し、透析しています。電気が病院まで完全に復旧しておらず、透析ができなければ、友人の父は亡くなります。
友人は、千葉に住んでいるため、父を呼びたいと必死で言ってきました。
だけど、今の現状を考えると、迎えにいった人も被害に合う可能性が高い、原発もどんどん悪化している、難しい・・・そこで、片っ端から病院関係の人がいないか、連絡を取り合いました。受け入れ病院がないか、調べて情報提供していました。
でも、同じような状態の方が沢山いるので、特別扱いできるわけでもありません。
復旧のめどがついた病院へ搬送作業が始まりましたが、まだガソリンが不足しているのです。
そんな中、彼女からメールが届きました。
「少しずつではあるけれど、復旧した病院への患者振り分けが始まったようです。父の順番がいつくるかわかりません。しかし何よりも、父が地元にいたいという気持ちが強く、父の意思を尊重することにしました。
辛いけど、節電に努めつつ、祈ります。本当にありがとう。」
節電も協力してください。一人一人のご協力がなければ、東北地方の人たちは、いや、日本国民全体が、元の生活に戻れないんです。
今、会社でも救援物資を集めていますね。中には、個人的に物資を送りたい方もいると思いますが、避難所によって不足しているものも違います。ましてやガソリン不足の中で向かっても、途中何かあれば新たな被害が増えることになります。個人的にボランティアに向かっても、向こうで自分たちの食事をもらうわけにもいきません。避難所で寝るわけにもいきません。その分、被災者に負担がかかりますから。
一番いいのは、募金等で大きな資金を用意し、しかるべき時に大きなお金を渡して、必要なものを赤十字などでとりまとめて用意できること、各行政地区で救援物資を集めていますが、それらを経由して物資を送ること、だと思います。
私の友人、Aさん(女性)は、今、仙台市青葉区八幡(はちまん)というところに住んでいます。
彼女も震災にあい、ライフラインが一時すべて止まり、地震があってから数日後、やっと連絡が取れました。仙台市内でも、排水管等の問題なのか、水が出るところと出ないところがあります。幸いにも彼女が住んでいる地区は、水と電気が通いました。
彼女も被災者です。でも今彼女は、自宅を周囲の方に開放して、お風呂を提供しています。そして近所に住んでいる一人暮らしのお年寄りに、自宅でパンや食事を作り、余震の不安の中、配り歩いて毎日声かけしています。隣に住んでいる東北大学の教授と一緒に、海外から留学に来ている外国人に食事やお風呂を提供しています。先日、中国人の方の帰国ニュースが流れていましたが、遠く離れた国(インド)等から来ている人は帰国の目途もたたず、住まいもなくしたので、自宅で預かっているそうです。そこでも彼女は、強力粉を購入するのに、すさまじい買占めに合いました。
彼女からメールが届きました。「うちみ、皆、そんなに買占めしてるの?本当にやめてほしいよ(涙)。なかなか物が手に入らないの。価格も急騰してるし。もし周りの方に話す機会があれば、ぜひそのことを伝えてほしい!」と。彼女は、わずか1歳の男の子を抱えながら、今必死で戦っています。
恵まれている私達は、今、何をすべきでしょうか?
仙台へ向かう中、私が担当させて頂いているお客様に安否確認を行いました。
皆さん無事であることがわかり、ほっとしました。
その中で、K様という20代の独身男性の方がいます。彼は、父の仕事の知り合いで、食品関連の会社に勤めています。自宅は宮城県の気仙沼市の辺りです。もちろん自宅は流されました。ご両親やご兄弟は無事でした。彼は仕事で福島県のいわき市に住んでいたのですが、会社の同僚の方でまだ見つかっていない方もいらっしゃるそうです。ある同僚の方は、たまたま塩釜港にあったポール(棒)に、洋服の襟元がひっかかり、津波に流されずに済んだそうです。K様は、「内海さんも、ご両親も無事でよかった!」と電話口で話して下さいました。
自分の方が大変なのに・・。堪え切れない思いでいっぱいでした。
今、K様は、バイクで、自分の会社にあった食品を、老人ホームやお年寄りの多い地域に配り歩いています。
「福島原発が近いじゃないですか。動いたら危険ですよ!」と話すと、
「うん、確かにそうなんだよ・・・だけどね、うちの会社には加工した食べ物がある。
いつも配達していた施設のおじいちゃんやおばあちゃんから「何か食べ物ないですか?」って聞かれたら、ないとは言えないじゃないですが・・僕はまだ体も動くし、バイクはまだ動く。放射能は浴びてるかもしれないけど、内海さん、僕は大丈夫だから!それよりご両親大丈夫ですか?食べ物あります?運びますよ!」
彼の、強い強い使命感に、私はただただ感服するだけでした。私と両親が甲府へ避難することを話すと、「よかった!本当によかった!じゃあ、また元気で会いましょう!また連絡しあいましょうね!」と言って下さいました。
恵まれている私達は、今何をすべきでしょうか?
避難所や現地の映像は、毎日ニュースで流れています。でもだんだんと、テレビ番組も通常の番組を放送しており、まるで震災に遭われた方々が落ち着いたかのような錯覚を覚えます。でも、避難所も、津波にあった地域も、何一つ変わってません。
避難所も、同じところばかりが放映されます。私の両親がいた避難所は、一度も放送されていません。地区の名前も、一度文字がテロップで流れただけ・・テレビで流れる避難所では、温かい食事が支給されていました。避難所でもこんなに違いがあるのか・・と大変驚きました。そんな所が、山のようにあるのです。
避難所の衛生環境は、とても厳しい状態です。私が見た限りでは、仮設トイレはありますがもちろん水洗ではありません。手を洗う水がないので、除菌ジェルで手をこするだけです。常にそうです。避難所でも、インフルエンザや色々なウイルスが発生しだし、亡くなられた方のニュースも流れていました。まだまだ、そのような事が沢山起こってくると思います。
私は、この地震で、さまざまな思いを経験しています。
辛い思いがほとんどです。両親が生きていたことは嬉しいけど、親戚や友人を助けられない自分を責める気持ちも隠せません。
だけど、私はあと、できることをやるしかないと思っています。
私ができることは小さいことかもしれない。
だけど、今できることをやろう、そう思いました。
皆さんも、今できることを精一杯して下さい。
今だからこそ、保障の必要性を伝えて下さい。私の話を、伝えて下さい。
一人でも多くの人に、この現状と、だからこそ保障が必要なんだ、という事を、皆さんの手で、足で、口で、伝えて下さい。
そして、家族以外にも、自分の安否を気にかけてくれている人がいるというのは心強いものです。私は今回それも感じました。両親の保険は私が預かっているので、担当は私です。
でも、家族以外に、誰かがいる、というのは、それだけでも精神的に安心できると思いました。
つまり、皆さんはその役目を担うことができるのです。
皆さんが、そして私自身が、ふと終わってしまった一日は、被災者の方や、私の見つからない友人や、見つからない叔父叔母が「生きたかった一日」だと思うんです。
だからこそ、精一杯今できる事をしてください。
どうか、どうかお願いします。
最後になりましたが、沢山の方々からの激励メールや、お気づかい頂いたこと、その気持ちが勇気となって、力となって、なんとか無事に帰ることができました。
両親の命も守られました。
本当にどうもありがとうございました。
これから、一人でも多くの方が助かり、東北復興の日が一日でも早く訪れることを祈り行動しながら、生きていこうと思います。
以上
*実際、家族が被災された方のお話です*
震災後、被災者以外の方はどう過ごされていますか?
計画停電に悲観したり、電車が動かなくて小言をいったり、被災者のフリをして援助受けてみたり、、、、
自分のこと中心に物事を進めたりしていないでしょうか?
それが悪いというわけではないのですが、
いくらなんでも何もなかったかのように日々を過ごされてはいないでしょうか?
僕はそういった現状を何とかしたいと思っていても何もできない偽善者の一人です。
実際、私には被災に会った人はかわいそうだと思いますが、何もしてあげられないし、そんな余裕もありません。
なので、今を生きています。
普段通りに、、、
ただ気持では、何かをしてあげたいという思いでいっぱいです。
私の友達も、被災地にいますし、その両親も被災地にいます。
こういった状況になって、友達にすらなんにもやってあげられない。
それが現実なんです!!
いつかいつかと、先延ばしにしていると、いずれ、順番が回ってきてしまう。
僕の場合、今回の地震が三度目の正直でした。
たまたま、人より早く、両親ともに、高度障害になってしまいました。
今回の地震で、大切な人を失った方、大切な方が大きな障害を持ってしまった方、多くいるともいます。
今後の生活費は足りますか?
学費は?
障害を持ってしまったときの出費、施設代はどのくらいかかる?そもそも受け入れの施設はあるのか?
大切な人がいなくなってしまった悲しみは大きいもので、お金では解決できませんが、生きるためには、
必ずお金が必要です。
家族を守りたい!!
その強い思いこそ真の保証の形だと思います。
お金で済ませるなと、いうかもしれませんが、生活苦の人がボランティアをする余裕がないように、
お金がないと何もできません。
家族を養う、家族を持つとはそういうことだと思います。
私が死んでも、周りがなんて思う人ほど、必ず誰かに支えられて生きてきたはずです。
僕は、ようやく周りに目を向けれるようになってきました。
皆さんはどうですか?
いつものことを当たり前の環境だと思っていませんか?
どこの世界にも絶対はありません。
ただ、人である限り、死は必ず等しくやってきます。
そこまでの準備は?
日々後悔しないように生きてますか?
一度でいいのでお考えください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この日記を見て、不快であればメッセージいただければ、日記を削除します。