私が小学生のころ、イジメに遭ったことがある。
シングルマザーの母は、私のことを祖母に任せきりだった。
祖母に訴えると「ご先祖様に護っていただけるように、お経を唱えなさい」と言われた。
我が家は真言宗なので、お経は般若心経。
毎朝、必死に唱えてから学校へ行くが、イジメがなくなるわけではなかった。
さらに、脳血管性認知症で祖母が寝たきりになる。
優しかった祖母は、病気のせいで私へ八つ当たりをするようになった。それでも母と交代で祖母の世話をしなければならない。
まだ、子供だった私は、しょっちゅう祖母とケンカしていた。
寝たきりになる前には、近所に住む親戚のところへ行っては、孫である私のワルグチを言いまくっていたらしい。
親戚の家には、いつも私が迎えに行く。
幸い、親戚は祖母が言う私へのワルグチを真に受けることはなく、言葉では労ってくれたが、現実的に何か助けてくれることもない。
いちばん祖母に可愛がってもらっていた弟は手伝わないばかりか、私に対して暴力を振るうよう。
やがて母は、新興宗教にすがった。
だが、事態は何も変わらないと分かると、母はこの宗教団体から、すぐに脱退する。
新興宗教の団体から「罰が当たる。不幸になるぞ!」と脅されたが、母は無視した。ご利益がないのだから、罰も当たらないということだ。
弟に殴られて痣の残る私の顔を学校の先生は、凝視するわりに何も言わない。
親は頼りにならないどころか、私への要求がアレもコレもと加速していく。
そんな中で、当時の私は本当によく頑張ったと、今、振り返っても思う。
ツラいことや、悲しいこと、逃げ出したくなることがあると、神様にすがりたくなる。
でも、そうやって、すがればすがるほど、神様と言う存在は遠くなるのではないかと思う。
現実から目を背けたくて、逃げる手段として、依存しているのだ。
暗闇が怖くて、泣いて、すがって、しがみついている手を、放してみたらいいのではないだろうか。
涙で視界の歪んだ状態では、気づけなかった小さな明かりが見つかるはずだ。
あるいは、行き止まりだと思っていた壁には、抜け穴があるかもしれない。
とりあえず立ち上がって歩きだしたら、今の場所から動けるようになる。
まあ、そんなことができるようになったのは、自分が大人になったからだ。
それでも、未だに子供の頃の嫌な思い出にウンザリすることもある。
思い出したくもないのに、つい、何かのキッカケでよみがえってくる過去の亡霊。
だけど、そんなことは前世の話だと思うことにしている。

