前回、教師のなり手不足と採用数の経緯を見てきましたが、今年発表された「教員不足2558人」には驚かされました。

 

 

文科省が公表した教師不足の実態調査によれば、昨年4月時点で公立学校全体の5.8%で不足感があるとされました。この数値は5月1日には4.8%に改善されていますが、これはあくまで行政が定めた数値上でのことで、現場の不足感はもっとあるはずです。

 

これまでに国はスクールサポートスタッフ制度や支援員の配置など、教師の多忙間の解消を図ってきましたが、そもそも先生が足りていません。大きな傷口に小さな絆創膏で手当てをしようと思っても無理で、これは、産休など比較的臨時雇用を可としてきた学校が、その場をしのげればと安易に考えてしまうことの延長にあります。

 

非常勤講師の悲哀はなった者でなければ分かりません。もちろん、配偶者の扶養の範囲内で働くのは別ですが、将来の正規採用を夢みて非常勤を続ける若い先生は、毎年度末に契約の更新をドキドキして待ちます。そして受け持ちのコマ数で生活ができるか悩みます。

 

これは非正規雇用の状態にあるすべての社会人にいえることではないでしょうか。身分の保障をしっかりして、社会の底上げをしないといけません!!

 

前回、持論として全クラスに副担任制の導入を訴えたのですが、これは決して大げさなことではありません。私が子どものころは、ベビーブーム世代に進められた“画一化”の流れがまだありました。それが、私が教員免許を取ったころには個性重視の方針が打ち出され、いま多様性が重視されています。

 

この複雑化する社会において、一つのクラスを一人の担任が受け持つというのは無理があります。太陽と月をしっかり見られるクラス運営が望まれます。一方、毎日のように報道される教師のワイセツ事案はとても残念で、「そんな暇あったら教材研究しろ!」と言いたい。

 

【静岡新聞より】

 

この教員不足の実情に、文科省が特別免許OKの緊急通知を発したそうです。これは教員免許がなくても学力や教える能力を有する人に「特別免許」を与えるというもので、すでに動き出しているという。しかし、この件は少し疑問が残ります。大学で教職課程を履修するのは相当な覚悟があるはずで、教師になりたいという夢はおそらく物心ついたころから持っています。

 

教壇に立つということは知識を植え付けるだけではなく、教師の資質についても知・徳・体が備わっていることが大切で、人間力、常識力の高さも重要になってくるはず。ただ教えられるということでは教員免許を持っている人は納得がいかないでしょう。

 

いずれにしても生徒を犠牲にしてはいけないはずで、高い水準の教育を展開してほしいと思います。