先週、学校の現場に起こる問題について調査を行う教職員の団体「School Voice Project」が、教員の働き方改革や、正規採用の教員を増やすために国へ義務教育費の増額の必要性を訴えました。ここ数年、教師のなり手不足が続いていて、その原因の一つが教育現場での仕事のきつさが挙げられています。

 

※参考 令和3年度(令和2年度実施)公立学校教員採用選考試験の実施状況のポイント

 

 

静岡県では小学校2.9倍、中学校4.6倍になっていて、全国平均よりやや高い。

かつて学校の先生というと、給与は一般職の公務員より高く、休みは多く休憩時間がいっぱいある。というイメージがありました。そのために教員を天職として選んだ人もいたでしょう。かつて教員を志した者として言わせてもらえばそれは幻想で、教員の給与が高いのはあらかじめ教師の付帯業務が多いのを見込んで高くしているからです。

 

採点付けや保護者対応、自分が大変だったのは教材研究もそうですが、成績を付けることでした。けっこう気を使います。特に部活動については、熱心な先生ほど朝練や週末の練習、試合を組み込むなど仕事が多くなる傾向がありました。好きでやっているし部活が生きがいという体育の先生はそっちが中心だったりします。

 

それと会議の多さ。私は非常勤講師でしたからさほど会議というものはありませんでしたが、学年の会議に教科の会議、それに学校間の会議や研修もあり、教材研究が満足にできない先生も多くいました。それに部活も加わると週末も家に居ることが少なく、自分の子どもと満足に接することができない先生も見ています。

 

夏休みなどの長期休みに生徒と同じくらい休めると思ったら大間違い。これも学校閉鎖になる期間は別として、自己研修を含めた研修などが何かしらあって「休み」という感覚ではありません。また、教員免許更新制のための研修も新たにできたりしてこれが多忙化の一因として批判されました(更新制の廃止法案が5/11に可決)。

 

話を元に戻すと、ここに来て国が教師を増やすような手のひら返しをする姿勢が見られるのは、教師のなり手不足のほかにも中途退職の問題や、そもそもこれまでの採用数をぎりぎりで採って使い回ししてきた経緯があったから。地方では社会の先生が技術を教えたり音楽と美術の先生が一緒だったりと、決して笑えない問題が日常化しています。

 

生徒数が減ると当然学校の規模も縮小され教師の数も減らされる。多様化が大切なのは生徒だけでなく教師も同じで、誰にも相談できない若手教師が心の病で自滅している。これについては私は早くから副担任制度の徹底導入を主張していて、各クラスに正副二人の担任を置くことで多様化が進む子どもや家庭への対応ができると思っていいる。

 

 

自分が採用試験を受けたころは、これから子どもの数が減るという理由で、とどんどん採用数を削っていたころ、残念でなりません。このグラフを見ると、平成12年に採用者数の最低値を記録していて、その前後も低空飛行を続けている。この前後10年くらいをきちんと採用できていれば、いま一番必要な40代から50代の教師の確保ができたでしょう。