先日「ちむどんどん」の話題の中で、一昨年の沖縄戦終結75年の祈念に沖縄に訪問した話をしましたが、今回はそのときの様子を紹介します。

 

一昨年のちょうど緊急事態宣言が明けた6月20日、羽田からのフライトで那覇に向けて旅立ちました。沖縄訪問は実は初めてで、沖縄のFirst landingは観光ではなく慰霊でと決めていたのでこの日を選びました。

 

正直、緊急事態宣言が解除されるかわからない状況でしたが、この訪問を良いものにしようと準備は進めていました。

 

伊江島上空

 

宣言明けではありましたが出発ロビーは人影も少なく、消灯している受付カウンターも多くありました。今回の個人的な視察の目的は、沖縄戦終結75年の慰霊の日に沖縄を訪問したいという思いと、その前年の10月に炎上した首里城の様子をこの目に収めたいという思いでした。また、世界遺産登録から20年を迎えた「琉球王国のグスク及び関連遺産群」も訪れました。

 

首里城からの遠景、まだきな臭さが残るなか、修復作業が続いていた 

 

琉球王国のグスク城址

 

大学時代に共に学んだ友が沖縄で中学校の社会科の教員を務めていて、その彼(N君)に会うのも一つの目的でした。N君にはドライバーを務めてもらい、県内の基地などを巡りました。車の中では沖縄のコロナの問題(米軍関係者からの感染が問題になり始めていた)を聞いたり、米軍関係者の飲酒に絡んだ犯罪について聞いたりしました。

 

コザ騒動のあったコザ地区や普天間基地、辺野古の新基地建設地。辺野古は警戒が厳重で、その日はにらみ合いの現場はありませんでしたが、臨場感を肌で感じました。いまやっと本土で話題になっている軟弱地盤の問題は、沖縄に滞在した当時、ニュースの話題の中心でした。それだけ基地問題に住民も敏感ですし報道陣も信念をもって記事を書いています。

 

ドライブイン屋上から普天間基地を望む

 

75年を祈念した沖縄全戦没者追悼式は、コロナ禍ということで現地に行かなくては開催するかどうか分からない状況でした。しかし、摩文仁の平和祈念公園には多くの人が集まり予定通り式典が開かれ、哀悼の誠をささげました。沖縄はちょうどこの6月23日ころ梅雨明けとのことですが、現地のにわか雨はなみだ雨になりました。

 

 

平和祈念公園「平和の礎」

 

 

摩文仁の丘から南の海を望む

 

 

沖縄全戦没者追悼式

 

ひめゆり平和祈念資料館にも訪れることができました。戦争体験された皆さんの悲惨な体験談は資料館で聞くことができます。お一人お一人の証言に胸が痛みました。高齢になられて語り継ぐことも難しくなっていくなか、資料館の果たす役割は本当に大切だと思います。そして、滞在中に琉球新報新聞博物館に訪れ、沖縄の近現代史を振り返りました。

 

琉球新報新聞博物館の展示

 

今回の訪問で沖縄の悲劇を肌に感じました。米軍基地のうち約70%が沖縄に集中しその面積は沖縄本島の約15%を占めています。軍用機の墜落事故や部品の落下事故、騒音問題も深刻です。私は東村山市で育って、横田基地が近くにありましたが、沖縄のような問題はあまり耳にしなかった気がします。沖縄のもつ歴史と特性なのかもしれません。

 

近年、憲法解釈の中で最低限の自衛力の保持に国民の理解が進んでいます。また、ロシアのウクライナ侵攻がより深刻化することで、より一層の軍事力保持が叫ばれようとしています。一方、最近の世論の傾向として、若者層に戦争への意識の薄弱さ感じています。これは、戦争の悲惨な体験を語り継ぐことができていない社会の現状があるのではないでしょうか。

 

世界を見渡し、平和の尊さを再認識するとともに、修学旅行等での沖縄や広島、長崎への訪問を訴えたいです。また、地域に残る戦争の記憶の掘り起こしや語り継ぐ教育、そういったことをを大切にしたいと思っています。