感動のフィナーレで幕を閉じた「カムカムエヴリバディ」。私と同時代の女性がヒロインでしかも設定があこがれていた時代劇の現場とあって、毎日欠かさず見ていたのですが、先週から始まった「ちむどんどん」も昭和30年代生まれの同世代のヒロインで、なんだか自分も年だけは重ねたなと思う今日この頃です。沖縄の本土復帰50年を記念し制作されたようで、北部の山原(ヤンバル)を舞台としています。
実は沖縄戦終結75年のおととし6月、中学の教員を務めている友人を頼ってはじめて沖縄に降り立ちました。その友人に沖縄のおいしい料理をたくさんご馳走になりました。ドラマでも沖縄豆腐のシーンがたくさん出てきますが、「豆腐よう」には閉口しました(>o<”)。イナゴと蜂の子以外はなんでも食べられると思ったのに…。
沖縄そばもがっつりいただきましたし首里城の喫茶コーナーで戴いたお菓子とお茶はほんとにおいしかった。思わず「このお茶は何というお茶ですか?」とおかわりを所望しました。それがさんぴん茶です。沖縄のお茶として定番中の定番です。ジャスミンティーのことですかね。沖縄の自動販売機には必ずありました。いまはペンションで煮だして夏のウエルカムティーにしています。
沖縄のお菓子とさんぴん茶
さて、ドラマの中で、飼っていた豚を屠って客人にふるまうシーンがありました。一昔ふた昔前の農村では、そのようにして客人にふるまったというワンシーンだったと思います。今はなくなりましたね。それだけで昭和が終わったと実感させられます。実は私も母の実家でこのようなシーンに遭遇したことがあります。
かつお出汁がしっかりと効いている「沖縄そば」。豚バラ肉のソーキが主役だ。
小学校1年生の夏だったと思います。母の実家がある盛岡の本家に遊びに行ったときでした。鶏のから揚げが食卓に並び、採れたてのトマトは土のにおいがしてほんとにおいしかった。当時、もも肉の鶏からなんてハレの日に食べるたいへんな御馳走でした。ふだんは“手羽”ばっかり食べていましたから。あとで飼っていたニワトリをつぶして調理してくれたんだと聞きました。昭和のご馳走はそうやって生まれていたのです。
ちなみに小学校3.4年生のころ、縁日で飼ってきたヒナを育てて大きな雄鶏になった(なってしまったと言った方が正しいか…)のですが、小屋からたびたび逃げ出してちょっとした迷惑になっていました。それを母がクリスマスに調理してくれて…ちょっと口にできませんでしたね。妹は泣いていました。そんな思い出もあります。
レストランで食事をするシーンも出てきましたね。子役の暢子さんがとてもおいしそうに食べていたのが印象的でした。初めての味への感動を表情で感じ取ることができました。私のレストラン初デビューは、友達の家族と上野にパンダを見に行った時でした。小学校2.3年のころだったと思います。母にスープの食べ方などを教わったのを覚えています。暢子のようにメモを取っていませんでしたから何を食べたか覚えてませんが、パンダのことよりレストランの食事の方をよく思い出します。
食の記憶や味の追憶はいくつになっても忘れることはありません。それが今回の朝ドラのテーマになっている気がします。そして家族で共にする食事。個食の問題がよく取りざたされもしますが、食事という毎日欠くことのできない儀式を大切にしたいと思いますし、それがかなわない子どもに対しては手を差しのべたいと思います。それだけ「子ども食堂」が大切な支援であることがわかります。
「ちむどんどん」番組公式ページ
※おととしの沖縄訪問記は改めてブログにまとめます。