マンモス☆南北東西を駈ける

マンモス☆南北東西を駈ける

グラビアアイドル・モデル撮影会「グラ☆スタ!」主宰/フォトグラフィック・オーガナイザーのマンモス☆南のサブブログ。日々の喜怒哀楽を吐露?!

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裏話や雑感など書いていきますので、宜しくお願いします。
人間を構成するものが、
プライドと嫉妬と虚栄心だとするならば、
そのどれを否定したとしても
自己は成立しないのか。

他人よりも優れていたいと思うから
頑張れることもあるかもしれないし、
他人を認めたくないから、
認められるべき自分であろうとするかもしれない。

理性を発揮して、
自分の目に入るもの全てを肯定して
全ての素晴らしさを感じながら、
両手を叩いて認めていきながら、
生きていくことができたら、
それはひとつの幸せなのかもしれない。

過去の自分を絶賛して、
これからの自分もそれと同等か、
それ以上になれると想像しながら、
前向きに生きていけたらと思うことも少なくない。

自らのアイデンティティを共感してくれて、
アイデアや作品やあらゆる成果物を
認めてくれる仲間がいることも、
理想の生き方なのだろう。

生きるのは大変だ。
生きていくのは大変だ。

ベッケンバウアーが言った
「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ」
からインスパイアするとしたら、
強く生きようとするのではなく、
生き続けることが強さなのかもしれない。

ペダルを漕ぎ続けるのは、体力が要るよね。

最近知った話なのですが、

かの有名な「あしたのジョー」の歌、

(尾藤イサオさんのやつです)

♪だけど ルルルル・・・・の「ルルルル・・・・」の部分って、

本当は歌詞があったのですが、

尾藤さんがレコーディングの時に歌詞をド忘れして、

仕方なく「ルルルル・・・・」と謳ったら、

そっちの方がいいという話になり、

作詞の寺山修司さんも了承してそうなったとか。

(本当はどんな歌詞だったか気になりますが)

 

普通なら、忘れちゃった時点で録り直しとか、

止めたりとかすると思うのですが、

咄嗟にスキャットで歌うなんて、

なかなか想像できない話ですよね。

 

でも、考え方によっては、

エンタテイメントというものは、

誰もが思うとおりに運んだら面白くないという考えもあり、

アドリブだったり、セリフ間違いからの戻しとかも

見どころになるのかもしれません。

 

逆に言うと、想像を裏切ったり覆したりすることを狙って

いろんな作品を作ることに熱心な方もいるでしょうね。

 

今の世の中が、自粛だったり、先が読めなかったり、

次の行動、次の一手をどうするべきか、

なかなか決められない状況ですよね。

 

だからこそ、エンタテイメントを創造したい者として、

原点に還ったつもりで、

皆様に何が喜ばれるのか、を考えています。

 

もちろん、できることとできないことの区別とか、

環境上、衛生上、してはいけないこととか、

いろいろあると思いますし、

今までは何気なくできていたことが、

これからは気を遣わないといけないかもしれません。

 

とはいえ、ふと過去へ巡らせてみた時に、

今のこの時に「新しい生活様式」と言われていることの中で、

これまでもやってるべきだったことや、

これまでもやってはいけなかったことも、

あったんじゃないかと思うと、

「当たり前がそうじゃなくなった」と感じるよりも、

本当は何となく見過ごしてしまっていたことをちゃんとやる、

ということなのかもしれません。

 

決してこの自粛期間は長い「お休み」ではないと思いますし、

いろんな意味で新しいスタイルを実践していこうとするのであれば、

昔はよかったと回顧したり、それをなぞったりするよりも、

原点を見つめ直して、本来の目標を確かめながら、

どうしたらきちんと歩き続けられるかを見つけたいですね。

「こんな時に」

って言葉を、SNS上で見かけることが多いかな。

9年前の震災後の時とは違う、

頑張って復興しよう、とは間違いなく違う。

 

頑張ろう、気をつけよう、って呼びかけるコメントや動画もあり、

他方では、どうなるんだ、どうなってるんだ、と鬼気迫る様子も。

 

国は、首相は、知事は・・・

支持政党はどこかとか、そういう話に触れるつもりではないです。

 

ただ、当たり前のように、

当たり前にできてたことができなくなってたり、

当たり前に思っていたことがそうではなくなったり、

当たり前に手に入りそうなものが入らなくなったり、

という現実と直面しているわけです。

(緊急事態というのはそういうことですよね、と)

 

せっかくの花見の季節なのに花見ができなかったことも、

行ってみたかったところに行けてないことも、

個人的にはそんなに落ち込む要素ではないのですが、

ちょっとずつ(ちょっとではないかな)変わってきている生活が、

いろいろと思いを巡らせます。

 

アメブロの機能で、

「○年前にあなたが書いた記事です」

と、頼んでもいないのに(笑)過去の記事が表示されて、

何気なく読んでみると、

他人事のようにふむふむと思うこともあって、

話し相手」って記事がちょっと刺さりました。

 

ひとりで会社やってると、

実はお金よりも必要なものは「話し相手」だと、

誰かに聞いたのかネットで見たのかは覚えてないのですが、

「話す」という行動をしないと代謝も悪くなる気がするし、

全ての判断基準が自分になるのは危険な場合もあるし。

そんな当たり前のようなこと、

何年か前のブログで見て思い出すわけです。

 

50代・独身・実家暮らし(誰が呼んだか「5DJ」)なので、

今は家族と自宅にいることが多いです。

外食ばかりしていたのですが、当然のごとく家で食べます。

料理も少しは手伝うし、後片付けや食器洗いは率先してします。

しかし、シンクの高さと私の体が合わないせいか、

食器洗いを延々していると腰に来ますね。

家事は大変だよな、母には申し訳ないなと

当たり前のことを実感します。

 

当たり前が当たり前じゃないこともわかっているつもりだったし、

当たり前がこの先も当たり前じゃないこともわかっているのですが、

(連呼してすみません)

そう言いながらも、

心配性で、もしうまくいかなかったらと考えるタチの私が、

決してのんびりと過ごしているわけではない中で、

喜怒哀楽とか当たり前の感情を、

無闇に抑えなくてもいいのかなと思ったりするわけです。

 

こんな時だから、と言わず、

面白いことがあれば笑えばいいし、

悲しいことがあれば泣けばいいし、

頭にくることがあれば怒ればいいし、

叫びたい名前があれば叫べばいい(「ルメール!」記事参照)

のかな。

 

時は戻らず、前に進んでいくだけなので、

前を向いて生きていくしかない。

いつかの自分に戻ることも、

何かを取り戻すこともできないと思うけれど、

当たり前のように自分にできることがあるならば、

頑張っていきましょう。