さて、前回、仕事における業務には「本質的業務」と「非本質的業務」があり、

 

1万時間の法則における「1万時間=それなりのプロ」という目安は

 

「本質的業務に携わった総時間数が1万時間」で初めて意味を成す、

 

ということを述べました。

 

今日はその続きです。予定ではこのシリーズのラストです。

 

 

 

この1万時間の法則からわかることは、ある程度は個人差や職種差もあるでしょうが、

 

いわゆる「プロ」と認められるだけの腕を持った人たちというのは

 

地道に努力や経験、様々な試行錯誤や失敗などを積み重ねてきた結果である、

 

ということです。

 

これは裏を返せば、

 

「本質的業務に1万時間(10年)携われば、凡人でもそれなりの腕のプロになれる」

 

ということだと考えることもできるのではないでしょうか?

 

 

 

もちろん、世の中には極稀に1000時間程度で普通の人の1万時間に

 

匹敵するレベルに到達する「本物の天才」がいるかもしれません。

 

でも、ほとんどの人は残念ながら、そんな「天才」ではないでしょう。

 

でも、たとえ天才でなくても、自分が「凡人」であっても、

 

「本質的業務に1万時間(10年)携われば、それなりの腕のプロになれる」。

 

これが1万時間の法則の、一番大事なことなんじゃないかと思います。

 

 

 

自分は凡人だからと途中で挫けてしまったり諦めてしまったり、

 

「自分の器はこの程度」と自分で自分の成長を見限ってしまう。

 

それってとても勿体ないことだと思います。

 

もちろん、自分にとって興味や価値の低いものに対してはそれでいいです。

 

人間にとって自己の存在と時間というものが有限である以上、

 

物事には「自分の中にある基準に則って」優先順位をつけねばならず、

 

優先順位の低いものに多くの時間や労力を割くくらいなら

 

優先順位の高いものにより多くを配分した方がいいでしょう。

 

ただ、それが自分にとって優先順位の高いものであるならば、

 

それに自分の時間を1万時間くらい突っ込んでみるのもアリなんじゃないかと。

 

 

 

何かを始めたばかりの頃、それに1万時間を費やそう、

 

それを1万時間続けようと最初から考える人は、まずいないでしょう。

 

でもそれをやっていくうちに、成功や失敗、成長や挫折と様々な経験をし、

 

いつしかそれでもそれが楽しいと、それでもそれをやり続けたいと思うようになり、

 

気が付いたら1万時間もの膨大な時間をそれに費やしていた。

 

そして気が付いたら自分の腕が周りから認められるようになっていた。

 

実際にはそういうものなのかもしれません。

 

自分の人生において有限で貴重な時間のうち、

1万時間もの時間を費やせること、1万時間もやり続けることができること、

逆説的ですが、それが自分にとっての「大切なこと」なのでしょう。

 

 

 

では、なぜそれが1万時間も費やすことのできる「大切なこと」になるのか。

 

例えば、「人に認められたい」とか「優越感に浸りたい」という気持ちだけでは、

 

1万時間もの長い時間を費やしてまで一つのことを続けることは難しいでしょう。

 

もちろん、そういった動機を持つこと自体は不自然ではありません。

 

しかし、あることを1万時間もやり続けるには、

 

やはり「それが好き」であることこそが不可欠なのではないでしょうか。

 

 

 

「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。

 

私自身好きな言葉であり、教室での指導方針の一つでもありますが、

 

この「好き→だから上手になる」という図は、

 

「好き→好きだから続けられる→続けているうちに上手くなる」

 

ということだと私は解釈しています。

 

そしてその延長線上にあるのが「1万時間の法則」なのだと思います。

 

 

 

また、「学問に王道なし」という言葉があります。

 

これは「学問には王様専用の特別な近道はありません」という意味です。

 

でもこれは学問だけでなく、すべての物事に通じると思います。

 

お金や物、地位や名誉といったものは

 

「ふとした拍子に簡単に失ったり、奪われたり、持ち主が変わるもの」です。

 

こういったものには王道(近道)はあるかもしれません。

 

しかし、外に形がなく、私という存在の中に蓄えられていくもの、

 

思考、努力、経験、それらによって内に作られる「実力」というものには、

 

王道はありません。ひたすら地道に積み重ねていくしかありません。

 

そんな根気のいる、気の遠くなるような道を進み続けることが、

 

「それが好きだから」でなければ、どうして可能でしょうか?

 

 

 

凡人であっても、いや、凡人だからこそ、

 

どんなに泥臭くても、格好悪くても、人に笑われても、蔑まれても、

 

それが自分にとって価値がある、好きだと思えることであれば、

 

それをやり続ければいい。

 

時には失敗や挫折を味わうこともあるでしょう。

 

でも何度転んでも、また立ち上がればいい。

 

前に進むから転ぶのであって、止まっている者は転ばない。

 

転ぶ様を笑う者は、転ぶのを恐れて前に進まない者。

 

転ぶことを恐れぬ者や、転んでもまた立ち上がる者だけが、前に、先に進める。

 

 

 

ついポエムみたいに文章になってしまいましたが(苦笑)、最後にもう一つ。

 

1万時間の法則というのは、実は1万という

 

数量的な目安が重要なのではないと思います。

 

もちろんそれはそれで「目安としての価値」がないわけではありませんが、

 

1万以上/1万未満のような線引きのためにあるわけではないということです。

 

 

 

1万時間に到達していないからプロではない、ということはありません。

 

1万時間に到達した全ての人に、1万時間未満だったときがあります。

 

そこを通過してきたからこそ、1万時間に到達できたわけです。

 

彼らがそこまで到達できたのには、先に述べた「それが好き」なのはもちろん、

 

まだ彼らが未熟で1万時間のときほどの腕を持っていなかった頃であっても、

 

そんな彼らに対し「ありがとう」と笑顔を向けてくれた人たちの存在があったはずです。

 

それがあったからこそ、彼らはそれを続けることができ、

 

その結果として1万時間という積み重ねができたのではないでしょうか。

 

 

 

ただ、それが好きだった。面白いと思った。

 

それをやっていたらある日「ありがとう」と言われた。

 

自分のしたことを喜んでくれる人がいた。

 

もっと喜んでもらいたいと思った。

 

そのためにもっと腕を上げようと頑張った。

 

そうしたら、好きだったそれがもっと楽しくなった。

 

 

 

単純ですが、これが1万時間到達への道であり、

 

1万時間到達より大切なことなのではないでしょうか。

 

 

 

おぉ、ちゃんと今回で終わった!珍しく予定通りに終わった!(笑)

 

…と言いたいところなのですが、次回「おまけ」をやります。

 

書いてる途中でふと思いついたことがありまして。

 

ただそれ自体は「1万時間の法則」という本編には直接関係しないので、

 

「おまけ」という形で書いてみようかな、と。

 

まぁ、すでに2月になってしまい、2~4月はこの業界の繁忙期なので、

 

いつそれを書き終えることができるのかわからないのですが…。

 

それでは、また♪