遠い遠い姉のもとに、私がこの手で連れて行ってしまった遠くに

一日かけて会いにいった。

まるで旅にでも出かけるように、、、。

奇しくもこの日は姉の誕生日、、、。

その姉はあたしよりも7歳も年上なのに

もうとっくに人格が壊れ、まるで子供のような意識の中で生きている。


今日になってやっと去年この日のことを書く気になれた。


その日は朝早くに起きて出かけたのに、姉のもとについたのはお昼すぎ、、、。
まず主治医の先生に面会した。
最近はより被害妄想が増しているとのこと
周りの方から自分のものを取られたら困るということで
自分の衣装ケースなどの上に布団をかぶせ
その上に水を張った洗面器をのせているのだという。
そうすると夜中とか自分が眠ったとき誰かに取られようとしても
洗面器が倒れて水がこぼれれば気がつくとでも考えたのだろう。
そしてそれに付け加えてお風呂に入ろうとしないようなのだった。

それを聞いて、今までは面会ルームだけで姉に面会するだけで
帰っていたのだけれども、どうやらこの日は病室に入って
この状態をなおさせる必要があるようだと判断し
病室に行くことに、、。
このままでは周りの患者の方に迷惑をかけてしまうから、、、。

鍵のかかるドアを何度もくぐり抜け姉のベットの所に行って愕然とした。
たくさんのものの上に確かに何個か洗面器があって
お水が目一杯入っている。

姉のために持っていったお菓子と引き換えにその洗面器を撤去し、
なおかついらないものを本人と相談の上で別にした。
衣装ケース一個にめいっぱいのものを処分した。
この日は比較的に精神的に安定した姉だったのでここまで出来た。
帰るとき、それでもやはりとても落ち着かない顔の姉が気がかりだった。

看護婦さん、事務所の方、主治医の先生に菓子折りを渡す。
それは受け取れませんというのを押して
姉をこれからもお願いしますと頭を下げた。

この日結局姉の口からは、父と母を気遣う言葉は一言もなかった。
もう姉の中で両親のことは何の意味もないことになっているのか。
そしてそれは病気がそうさせているのだろう、、、。

自分の誕生日だから来てくれたのねとそれは覚えていた姉だったけれど
自分の歳はもう分からなくなっていた、、、。

せめてもの振る舞いで姉らしい口調で話す姉は
ささやかなプライドを持っている。

でも院外での出来事を全く知らない姉は
AKB48という存在も知らないし、
ふるさとがスカイツリーや新しい松屋の駅見世などで
とても賑わっていることも知らない。
そしてなによりも母の死を未だに知らない。


なぜ姉はそんな病気になったのだろう、、、。

なぜ姉でなければならなかったのだろう、、、。


帰り、何時間ものっている電車の中で
もし姉が病気じゃなかったら、どんな姉だったのだろうかと
考えても仕方のないことを、何回もくり返し思っていた。



家の最寄りの駅に着いたのは夜遅く
そうしたらダーが待っていてくれて二人で外食をした。


$昨日の果てに、、、
$昨日の果てに、、、
まずは立ち飲みバーで軽く一杯。
そして居酒屋へ。
昨日の果てに、、、
昨日の果てに、、、
昨日の果てに、、、
乾いた心と身体がだんだんと満たされていく、、、