今日、たまたま、赤っぽいパンツ(下着)、赤いシャツを身に付け、赤っぽいタオルで顔を拭いた自分がいるのに気づきました。
赤っぽい色の身に付けるものや服なんかそんなに持っていないはずなのに・・・・・。
ん~ん、なぜ今日に限って赤なのか?どうして今日に限ってそんなことに気づいた自分がいたのか・・・?
こんなことをイチイチ考える自分はなんて暇な人なの?
しかし、ワタシはまた考えるのでした。
そうだ!思い出した!昨日テレビで、周りの色に反応して自分もその色に変わる魚がでていました。
よく深海魚にいますネ。
色は波動であり、周波数ですから、その色を感知する機能があるのでしょうが、それにしても不思議です。
待てよ!今日自分がこれだけ赤色のモノを身に付けているのはなぜか?私にとっては「異例」なのです。
繰り返しますが、そんな事に気付く自分がいたのも不思議なのです、ワタシにとっては・・・。
なぜ「赤」なのか? 心の何処かで「興奮」を求めているのでしょうか?
先日亡くなられた、やなせたかしさんの作られた曲の歌詞に「手のひらを太陽に♪♪、透かしてみれば♪♪、真っ赤に流れるボクの血潮♪・・・。
そうだ、赤は生命の色なんだ!!!・・・。
そういえば、あからさまなことや、包み隠しのないことを「赤裸々」というけれど、きっと真実とか生命とかに近い「色」が「赤」なので、そういう文字を使うのかしらん、と・・・。
関係ないけど「赤っ恥をかく」ともいいますね。なぜ恥をかくのが「赤」なのか?真実や本質というのは一面しか見ていない場合が多いから、何かの都合で自分が見たくない真実を知る瞬間の「色」は赤なのでしょう。
今年の夏、参加した、ある「心理学関係」の講座に出て感じたことを思い出しました。
受講生は年齢や職業、様々でしたが、ほとんどの方が首都圏在住の方でした。
ワークやケーススタディの際に、実によく自分のことを、まさに「包み隠さず」話してくださる方が大勢いらっしゃいました。
これは、田舎に住んでいるワタシにとって、ある種の驚きでもありました。すっかり田舎モンになった私は、そういえばあまり自分のコトを、はたして赤裸々に他人に話すようなケースが少なかったなあ、と。
都会に住んでいると、田舎に住んでいるよりあまり知人以外とは深い話しをしないというのはウソですね。
田舎に住んでいるほうが、濃いゆえの人間関係を考慮して、お互い突っ込んだ話はしないように思います。
かえって、しがらみのない人同士が集まる機会の多い「都会人」のほうが、本音を話す機会が多いのではないでしょうか。
まあ、そんなことはどうでもよいです。
でも秘密のベールをいっぱいまとった人は、「赤」というより「青」や「紫」が似合うようです。これはヨイ、ワルイではなくてね・・・。
今日、自分が期せずして赤に囲まれたのは、きっと、もっと、本質に近いところで、むき出しに、「包み隠さず」生きろという「自己設定メッセージ」なのでしょう。
ん~ん、なんか自分のキライなスピ系な言い方なのがイヤらしいですね。
ブルー系の色より、赤い色のシャツが似合う男になりたい!そんなことを思う一日でした。