理想的な死とは | 乳がん vs あたす

乳がん vs あたす

ある日アラフォーが乳がんに遭遇
Everyday is bonus!!



まいどっ


立ち寄ってくださって
ありがとうございます❗



お気は確か❓おいで
って標題サーセン
気は確かです笑
でも
去年のケモ中の
なんかいろいろ考えちゃうぅ
って日に
頭を巡ったことの1つです

ケモ中の
ネガティブ思考爆発中に見た
TV番組が影響してます
そして今日、
思いがけず知ることになった
恩師の死
それで思い出したこと
書き連ねてみます
全て独り言です
めんどい独り言です
せっかく立ち寄って頂いたのに
めんどい奴でサーセン







『理想的な死』
って何でしょう





うーん





ピンピンコロリ
とか
そういうことかな
それはわたしもあこがれる


それとも


家族に囲まれて旅立ちたい
とか


畳の上で死にたい
とか


会いたい人全員に
会っておきたい
とか


そういうことかな






ヒトの死亡率100%
誰もがいずれ死ぬ
生まれた瞬間から
死へ向かって生きてるわけで





死にゆくとき
わたしだったら…
うーん
できるだけ
苦痛は少なく
恐怖は少なく
悲しさも少なく
後悔も少なく
楽しい事だけ思い出して
感謝しながら
眠るように逝きたい
そういう希望はある

死が怖いから
あれこれ思うのかな
でも現実に
わたしが死にゆくとき
何もできないかも
意図してどうにか
できるものじゃないよね、きっと
せん妄でボロボロかもしれん
痛くて苦しいかもしれん
わたしの手を握っててくれる人
いないかもしれん
というか
その死に様が
理想なのかどうか
知る術がないよね
死について
形容したり
あれこれ言えるのは
残された人達だけ
誰かが死にゆく様を見て
大往生
とか
こんな風に死にたい
とか
アレが理想だとか
コレはイヤだとか
あーだこーだ
言えるわけで






じゃぁ
どうする





わたしが意図的にできること
といったら
理想的に
死ぬ
というか
力の限り
生きる
しかないのかな
と、思ったり

わたしは乳がんができて
えー
ポーン
まさか
夢じゃね❓
っていう
まぁ人生の一大事に
直面したわけですけど
死を想うより
どう生きるか
って思いのほうが
圧倒的に強いんス
放っておいたら死んでた
という事態に遭遇して
生きる
ってこと
頭の中グチャグチャさせながら
思いが巡りました


焦ることはないかもしれんけど
少しでも興味があること
やれるうちに
とにかくやって
心残りを持ちたくない
って思います



亡くなられた恩師
最後に会ったのは
2019年10月
ラストケモのダメージからの
回復期の真っ最中
ランチに連れ出してくれて
わたしを勇気づけようと
激励してくれた
『今後、仕事をするにしても
無理しないで
少しずつ始めて
小さい成功体験を重ねなさい
けっぱれー❗』
応援してくれた先生
今年の元旦に送ったLINEが
いつまでも未読のままで
気になっていたけど
あぁ、お忙しいのかな
勝手に理由付けていた
わたしの今後の方向性が定まり
それを報告したくて
いろいろ相談したくて
電話したら
ケータイも自宅も繋がらず
事務所兼ご自宅は
既に引き払われていた
なんだか悪い予感がして
関連オフィスに問い合わせたら
『亡くなられたようです』
でも
それがいつ
とか
なんで
とか
知る術がなく
ただ事実があるだけ


どうして
どうして
どうして
この数カ月で
一体何が起こったんですか
またすぐ会える
そう信じて疑わなかった
わたしはいつもそう
過信して後悔する
もっと早く会いに行けたのに
いつでも会いに行けたのに


先生は戻らないけど
せめてお線香をあげて
手を合わせたい
お礼を伝えたい
最後まで教育者だった先生
厳しく面倒見がよく
愛情深く
謙虚で信念が強い
わたしにたくさんの影響を与えた
いつかまた
話しながら
おいしいものでも食べて
お酒を呑みましょう
先生に出会えてよかった
また会いましょう
どうかゆっくり休んでください




人は死ぬことで
この世から消える
けど
その人が世の中に放った
影響力は
人々の中に残り
受け継がれていく
そういうことが
理想かどうか
わからないけど
そういったことが
これまでも
これからも
きっとずっと
繰り返されていくのだね

















着地点が…
見えないまま終わります
ニヤニヤ
サーセン
深夜に見たあの番組のせい
『理想的な死』なんて言うからー