いよいよ『2024年組』の年
『2024年組』と初めて名乗った時は、受験yearが遠い遠い未来のように感じていましたが、あっという間に今年がやって来ました。
このブログを始めた目的は、中学受験に向けて母親の私が娘のブレーキにならないよう「母の士気を高めて維持する」ことと「娘の成長の記録を残す」ことでした。
それがいつしか、同じ立場で奮闘されているブロ友さんや先輩方から力を貰い、いいねを通じて励ましや共感を頂くことが私の心の安定剤になっていました。
来月の今頃はもう、埼玉と千葉の入試結果が出ていて、2/1校の受験も終わっているんですよね。信じられません。早く終わって欲しいような、さびしいような…今の状態でずっといたいような…不思議な感覚です。
ラスト1か月とちょっと。みなさんと一緒に元気に完走したいです。
引き続き今年もよろしくお願いいたします。
緊急地震速報が鳴りびく元日
大晦日の夜は、紅白のエンディング頃に年越しそばを食べはじめ、結局2355を見てしまい「勉強してたら、年越してたわ~」とはなりませんでした
元旦はベランダから初日の出を拝み、いつも通り基礎トレから始めて、気分転換に近所の小さな氏神様に初詣へ。
午後は31でバラエティボックス6個入りを買わされ「体の芯から冷えるわ~」なんて言いながら、母娘二人のんびり過ごしていたら夕方地震が発生しました。
能登半島付近一帯、心配です。
被害に遭われた方々のご無事と安全を祈るばかりです。
テレビのどの局をつけても「津波 逃げて」の大きな警告文字とアナウンサーの緊迫した「今すぐ逃げてください!」の呼びかけ一色になっていたのを見た娘は、重大ニュースの中で学んだばかりの大地震が、今も現実に起こっていることにショックを受けていました。
局によって中継場所が異なっていたので、アトラスで場所を確認しながら、ニュースに釘付けになること1時間。
度々鳴り響く『緊急地震速報』の警告音。
繰り返される地震の瞬間や津波から避難する方々の映像を、恐怖と心配でいっぱいになりながら見ていた娘が
「なぜか分からないけど涙が出ちゃうの」と、静かに泣いていたのでテレビを消しました。
2011年の子ども達は、どうしていたんだろう。
昨年のさぴあ作文コンクールの課題図書『海よ光れ!3・11被災者を励ました学校新聞』の大沢野小学校の子ども達を始め、震災を乗り越えた全ての子ども達、日本中が自粛ムードとなり「楽しいは不謹慎」な空気の中、元気に過ごした子ども達の強さを改めて親子で感じ、心から尊敬した元日でした。