今日の日付 この日が近づくと落ち込んでいた
大人になって
恋愛したり
仕事で大変な思いしたり
結婚したり
子供産んだり育てたりしてたら
もうそんなことも無くなったけど
またあおね という矢野顕子の唄を聞きながら泣いていた
何度もそんなふうに過ごしていた3月25日
この日が最後の登校日 そして転校した ということが数回あった
もう簡単には戻れないくらい遠いところに引っ越したから
友達とももう会えない事知っていた
悲しくて悲しくて
こんな思いするくらいならもう友達なんかいらないとさえ思った
環境が激変して
飼っていた桜文鳥が寒い新潟に耐えられず死んだ
もっとあったかくしてあげてればもう少し生きてたはず
私は転向後うつになり学校80日休んだ
でもなんとか高校に行けて入学した学校を初めて卒業する事が出来た
その後引っ越しする事も無くなり(父の仕事が新潟に固定されたので)
やっと自分はここにいていいんだな?と思えるようになった
わからないだろう
転校と拉致が似てるなんて親も学校も知らないだろう
あれは拉致に限りなく似ている
同じではないけど
自分の意志ではないから。
自分が築いた人間関係をチャラにされる
自分の居場所をせっかく開拓したのにもう一回やり直せと言われる
毎年どこかに引っ越すかもしれない不安の中で
勉強したりやりたい事も中断させられた
習い事も辞めさせられた
部活もギター部の部長だったのに辞めるとは思わなかった
唯一ギターは手軽に持ち運べたのでピアノはだめだったけど新しい地でも続けられた
アンサンブルはもう二度とできなかった
私には どこかに居続けて 人間関係を作ることが許されないのか?と真剣に悩んだ
私は さびしいという単純な感情より 誰かにわかって欲しいという思いより
誰かと深く関わることでむしろ痛手を被るという事実を叩きこまれた
愛別離苦を思春期に身をもって思い知らされた
今家族と当たり前のようにいっしょにいるけど かりそめなのも知っている
そもそも人間は孤独なのだ
3月25日は必ず廻って来るだろう その日まで全力でこの生活を守る私にできる最大限の努力で。