人の話しを聞く というのは ときに感慨深いものだ
ずっと前から 何かの拍子に人の打ち明け話を聞くことがある
私が油断だらけだからかな?
からっぽな車輪の真ん中のように穴があいてるから人は安心して話し出すのだろうか・・・・?
なぜか 赤の他人なのに
・・・・いや、赤の他人だからだろうか?
そんなふうに話を聞く事が 厭じゃない
でも本当は 私に話したいわけじゃないんじゃないかなって 心配になるけれど
代理でも仕方ないなって 妥協で話してるのかも
まあ、私でも構わないと。(何か判断基準があるのかは不明だが)
しかし 大人になるってなんだろう
いまだによくわからない。
ただでさえ、嫌な通学が
更に辛くなる
新潟の冬
凍りついた坂道の途中のバス停で 一時間に二本のバスを待つあいだ
お年寄りの女性に声をかけられた
「この次のバス、来ますかね?」
「え?私はいつもここから乗っていますけど・・・」
聞くと、前の時刻のバスは停まってくれなかったのだという
小さな方なので、バス停の陰で見落とされたのか‥‥‥?
海から吹きつける風に耐え、一時間も待っていたというのか‥‥
気の毒に。
凍えきってしまったのでは…
「それは大変でしたね、あと少しで来ますよ。」
すると、その女性は堰を切ったように話し出した。
「私ね、孫のために来てみたんですよ。
息子の嫁が家を出まして。
連れ戻しに来たんですけどね…」
息子さんの…お嫁さんが?家を出た…?
「でも駄目でした。
会えませんでした
居留守かもしれない。
そこのアパートに住む、大学生と同棲してるんですよ。」
ここは大学の前で我が家は大学の裏に住んでいる。
このへんには大学生向けのアパートがたくさんある。
砂地の畑だったところを農家が代替わりしてアパートに建て替えるのだろう。
目の前にはたばこ畑 大根畑 そしてアパート群
「ばかな事やってるんですよ。
子供はまだ五歳なんですよ。
毎晩泣いて、お母さんお母さんて…かわいそうで。」
その方の目から大粒の涙がこぼれた。
私は どうしてよいかわからなかった
立ちつくして まさに凍りついた
私は高校生で 制服を着ていたのだが、
地味なコートを着こんでいたのでわからなかったかもしれない。
かばんも地味だったし 今考えると若さがなかったのかも
もはやその婦人の話し相手としてすっかり認められたようで、とまらない。
涙を流しながら私に
「……ねぇ、セックスってそんなに大切ですか?
母親を辞めなきゃならないくらいいいもんなんですか?」
それは私に聞いているのかどうかもわからなかった
あまりにも その質問は
でも沈黙に耐えられなくて
「わかりません。した事ないからわからない」と答えた。
その方ははっとして、
「あら すみません、私ったらこんな事。あなたは ……高校生?てっきり私。」
「いえ、いいんです。あの、大変ですね。
……話し聞くだけでよかったら、ちょうど待ち時間だし、構わないです。」
その方はまた涙を流した。
そして冷え切った坂の途中のバス停で震え続ける
やっと来たバスに二人で乗り込む
シートに並んで座った。
暖かいバスは ゆっくり発車した
少しほっとした
多分その方も 少しだけ
ほんの少しだけほっとしただろう
乗った後はあまり話さなかった
周りに人がいたし もう話したいわけでもなさそうだった
私が先に降りた
「それじゃ、失礼します」ってあいさつしか出来なかった
あれから何年経ったろうか。
その方とはバスで別れてそれきりだが、
あのあとどうしたんだろう……
大人になるってなんだろう
いまだによくわからない。
誠実であるということはむしろ子供っぽいことなんだろうか・・・・
何かしてあげたかったけど 何も出来なかった
また どこかで バスに乗り遅れてないか
冬のバス停を見ると、ふと思い出す
何も慰めの言葉を思いつかなかった未熟な私が
今もバス停でバスを待っている気がする
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