ごめんね。

昔別の所で書いていた話

ここに移します。

 

6話目

 

今の所この話は6話までしか書いてません。

 

また時間が出来たら続きかきたいですけど、・・・・ちょっと今は無理かも

 

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***池辺直永田のはなし 1*****

 

馬子様はなぜにあそこまで仏道を我が国に取り入れようとなさるのか

しかしながら、わたくしの立場では逆らうわけにはいきません。

 

馬子様の申されるままに司馬達等さまとともに我が国に仏教の僧がおらぬかと

あちこちに出向いて探し回り毎日くたくたになって床に入る日々が続いている。

 

馬子様は我が国の外交を取り扱っていることもあり異国の情報などにはお詳しい。

国をまとめるために必要なのだとおっしゃるのなら我々は精一杯お仕えするのみだ。

しかしながら仏教の僧とやらはどこにいるのやらいつ見つかるのやら・・・

馬子様のまだか、まだかという言葉で気が焦るばかりだ。

 

ある日私は馬子様にお尋ねした。

「八百万の神々を馬子様は信じてはおられないのですか?」と

すると、馬子様は笑っておっしゃった

「古来からある神道や八百万の神々を粗末になどせぬ。仏教も神道もどちらもとても大切なものなのだ。わからぬか?八百万の神々はこの世の私たちをお守りくださる。なれば死したのちはどうする?死したのち極楽浄土へお導き頂くのは仏様ではないか。神と仏同時に祈るのなれば怖いものなどないではないか。」

なるほど、と思いながらも死に対してまでお考えになさるのには

馬子様は死に対しての恐怖を感じておいでなのではないかと疑問も感じた。

 

以前、筑紫に渡来人に上陸した時期から1~2週間たったころからだろうか

使いの者から筑紫でははやり病の人々が出始めた。突然の高熱でそのままなくなる方もおられたが

熱も峠を過ぎたとホッとした2~3日後突然体に発疹が現れたという。全身に発疹が現れ命を落ちすものが多く出た。そのような報告が後を絶たない。

このようなことは、稲目さまがおられたころ同じことがあった。

あの時も渡来人から仏像をお譲りになられた時だった。

 

恐ろしいことにそのはやり病の報告が徐々に東に東にと動き始めた。

外交状況や、僧の報告とともに、はやり病の知らせを馬子様のお耳に入れると

馬子様は大変焦られて

「、現役の僧でなくてもよい早う探してくるのだ」

とお言葉を変えられようやく還俗してはいたものの高麗からお来越しになっていた恵便さまをお連れできることになった。

 

恵便さまの指導を仰ぎ、布教をするものも必要だとの馬子様の言葉を聞くと

司馬達等さまは喜んでご息女嶋さまを出家させ善信尼として仏道をお広めになることにご尽力なさられた。

尊い行動だとわかりつつ、渡来人と話す中にわずかではありますが私も仏教についての知識を得ると不思議に思うところがあり、勇気を出してある日馬子様に質問をした。

「馬子様、仏教では女子(おなご)は男の僧よりも位が低いと聞きます。何故にこのような重要なお役目を娘にお任せになるのですか?」

そう申しますと、

「な~に、昔から我が国では女性のほうが我々男よりも強い霊能力を持っているとは知れたことではないか」

と申される。まあ、確かに仏教など知らぬという者ならば、シャーマンの力を持つものとして仏教を広めたほうがみな信じるのかもしれないなと深く納得した。

「それはそれは、わたくしの考えが浅はかで申し訳有ません。」

そんな私に

「いやいや、よいよい。」とおっしゃられたのち

一人庭を眺めはじめた

するとしばらくして馬子様はポツリと

「まだ足りぬ。」そうおっしゃった。

まさか、わたくしの娘も差し出せと申されたならばとどうしたものかと不安を抱えていたころ

幾日か経った頃

漢人である夜菩の娘 豊女と錦織壺の娘 石女がそれぞれ禅蔵尼と恵善尼とという尼なることになったと知らせを受け、わたくしは罰が当たるかもしれないが心底ほっとしてしまった。

私はまだ欲深いのだろう。仏様にお仕えすることよりも娘のことを大事に思ってしまうのだ。

 

それからというもの、馬子様の石川のお屋敷の敷地の東側にお社と3人の尼の生活する場を設け

私と司馬達等さまは三人の衣食住のお世話をすることとなった。

3人はわが娘よりまだ幼いというのに、毎日 経をよく学びつつましやかに規則正しい日々を過ごした。

仏に使える尊い方なのだと思いながらもついつい我が娘のことを思うと3人にお仕えしながらも心苦しく思えた。

 

ある日のこと、善信尼さまがこれは仏舎利ではないかと白い塊をお持ちになられた。

まさかそんなものが突然現れるわけがない。そう思っていると馬子さまが現れ

「誠に仏舎利であるならば」と鉄でそれをたたいて見せたが割れもしない。

これが仏様の力なのだと馬子様が誇らしげに申される。

そんな馬鹿なと思いながらも

いざ目の当たりにすると信じるしかなかった。

この日から私は心を改め仏様と3人の尼にさらに心を尽くしてお仕えした。

 

馬子様は585年のここちよい春の日、小野の山に塔をお建てになるとこの仏舎利をお収めになった。

梅の花が美しく鳥が鳴く。温かな風に包まれこの幸せな時がいつまでも続けばいいと私は漠然とそう思った。

 

しかし同じ月、馬子様は病に倒れられた。

筑紫より広がっていた病が最近ここらでも出始めたとは知らせを受けてはいたが

何故にこのように熱心に経を読み信心されているお方が病にかかられてしまうのか

これこそ、現世をつかさどる八百万の神の思し召しなのだろうか。

なれば、馬子様のお力にと動いたいた私にも同じことが起こるのではないかと恐ろしくなった。

 

あわてて加持祈祷(かじきとう)を行うものの馬子様の具合は良くならず。

占者に馬子様の病の原因を突き止めさせた

すると、なんとしたことか

馬子様父、稲目さまが祀っておられた仏像が馬子様を祟っておられるというのだ。

なんとしたことか、仏とはこれほどに怖いものなのか

私は仏を裏切ることへの恐ろしさを今まざまざと見せられているのだ。