土曜日の正午、
静かな揺れに気が付いた。
意外とも思えるが地震が多いこの地。
デリーに住んで3年、数回の地震を経験した。
数年前には特に大きな揺れがおこり
そのときは主要なビルにもヒビが入るなどの被害があった。
明らかにレンガを積んだだけの鉄柱などない建物に住むと
地震が起こるたび死の恐怖などからの緊張が走る。
たいていの地震は遠い震源地から来る余波なので
深刻な被害にはならなかったのが不幸中の幸い。
耐震性の低い建物が多く建つその街の被害は深刻なものだ。
このたびの地震は、
ネパール首都カトマンドゥ80km地点が震源。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150427-00000030-mai-asia
ニュースの写真などをみると胸が痛くなる有り様。
静かな揺れに気が付いた。
意外とも思えるが地震が多いこの地。
デリーに住んで3年、数回の地震を経験した。
数年前には特に大きな揺れがおこり
そのときは主要なビルにもヒビが入るなどの被害があった。
明らかにレンガを積んだだけの鉄柱などない建物に住むと
地震が起こるたび死の恐怖などからの緊張が走る。
たいていの地震は遠い震源地から来る余波なので
深刻な被害にはならなかったのが不幸中の幸い。
耐震性の低い建物が多く建つその街の被害は深刻なものだ。
このたびの地震は、
ネパール首都カトマンドゥ80km地点が震源。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150427-00000030-mai-asia
ニュースの写真などをみると胸が痛くなる有り様。
耐震強度の少ない住居が並ぶ街は崩落寸前である。
私の住むデリーにはネパールからの出稼ぎ労働者が多く住み、
私たちが日常で関わるサーバントやドライバーもネパール出身者が多い。
ネパールの人たちは真面目で盗みをしない、
南国特有の狡猾さもなく日本人にとっては扱いやすい。
我が家のサーバント、シータもネパールの出身である。
地震が起き、その震源がネパールと知ったとき
最初に頭に浮かんだのがシータだった。
彼女に、地元や家族は大丈夫?とメールで聞くと
義弟が亡くなった、という悲しい返信がはいった。
直接話してみると彼女も困惑していて、
3日後にご主人がバスでネパールの実家まで帰るとのこと。
デリーに出稼ぎしてる何人かもそうしているそうだ。
バスでの帰郷だと陸路だと大丈夫なのだろうか。
水も食糧も保障されない中、救助作業を行えるのだろうか。
彼女は悲しげに
「ネパール、フィニッシュ」と何度もつぶやいた。
「日本も大きな地震があったけど、フィニッシュしてないから
ネパールも大丈夫だよ!」
と考え付く言葉で慰めたものの、なんと無力な私なのだろう。
何人かに見舞金を渡すべきか相談すると、
数人から、今後日本人がそう話すとお金がもらえる
というのが癖になるからやめたほうがいいと止められた。
募金より現実的なのでは、と思ったが。
たしかに考えてみれば安易であったか。
こういったときはどう対応するのがいいいのか。
寄付金、義援金は基金を通して確実に届くのか。
私の住むデリーにはネパールからの出稼ぎ労働者が多く住み、
私たちが日常で関わるサーバントやドライバーもネパール出身者が多い。
ネパールの人たちは真面目で盗みをしない、
南国特有の狡猾さもなく日本人にとっては扱いやすい。
我が家のサーバント、シータもネパールの出身である。
地震が起き、その震源がネパールと知ったとき
最初に頭に浮かんだのがシータだった。
彼女に、地元や家族は大丈夫?とメールで聞くと
義弟が亡くなった、という悲しい返信がはいった。
直接話してみると彼女も困惑していて、
3日後にご主人がバスでネパールの実家まで帰るとのこと。
デリーに出稼ぎしてる何人かもそうしているそうだ。
バスでの帰郷だと陸路だと大丈夫なのだろうか。
水も食糧も保障されない中、救助作業を行えるのだろうか。
彼女は悲しげに
「ネパール、フィニッシュ」と何度もつぶやいた。
「日本も大きな地震があったけど、フィニッシュしてないから
ネパールも大丈夫だよ!」
と考え付く言葉で慰めたものの、なんと無力な私なのだろう。
何人かに見舞金を渡すべきか相談すると、
数人から、今後日本人がそう話すとお金がもらえる
というのが癖になるからやめたほうがいいと止められた。
募金より現実的なのでは、と思ったが。
たしかに考えてみれば安易であったか。
こういったときはどう対応するのがいいいのか。
寄付金、義援金は基金を通して確実に届くのか。
食糧や毛布なども被災地に届くのか。
はたして自分は本当に無力なのか。